羽毛扇――この言葉から、諸葛亮孔明(以下孔明)の立ち姿を思い浮かべる方もいることでしょう。孔明が生涯手離さなかったといわれる羽毛扇にはある言い伝えが残されています。

 幼少時の孔明は会話が不自由でした。その聡明さに気がついた道士が治してくれたそうです。その後、天文、地理、八卦、兵法といった一連の伝授を受け、日々の鍛錬に励み歳月を重ねていきました。

 成長した孔明が山中で嵐に巻き込まれたことがありました。風雨を避けるため古寺に足を踏み入れたところ、若く美しい女性が現れ、奥の部屋へと招かれたのです。美貌に魅せられた孔明は、頻繁にこの女性のもとへと通うようになり、鍛錬にも身が入らなくなっていきました。

 「風不来、樹不動、船不揺、水不濁」(風が吹かなければ木は揺れない、船が揺れ動かなければ水は濁らない)。
 「元気がなく成長できないのかはなぜかな?」と、道士は庭の一本の木を指差し尋ねました。
 「葛藤(つづらふじ)に巻き付かれているためです」と、孔明は即座に答えました。
 藤のつるのように色香に巻かれてしまったならば、成長の妨げになることを悟ったのです。

 王母の桃を盗み食いしたため、下界に打ち落とされた『天宮の鶴』がこの女の正体でした。
 「美貌に囚われ享楽を貪ってしまえば、すべての努力が水の泡になってしまう。子の刻(午前零時)に鶴は天の河で入浴をする。その隙に服を燃やしてしまえば、人の姿には戻れなくなる。しかし、怒りに必ずや攻撃をしてくるだろう」と道士は言い、身を護る武器として、龍頭の杖を授けてくれました。

 古寺に忍び込んだ孔明は、火種の残る囲炉裏の中に服をくめ、炎が上がる様子を見つめていました。こげる臭いに気づいた鶴は、すかさず飛びかかってきました。冷静に手にした杖で撃ち落とすと、その尾を掴みました。鶴ははげしく羽ばたき、孔明の手に尾羽を残して逃げ去りました。

 多感な時期にえた教訓を生涯忘れないように、この尾羽で羽毛扇を作りました。常に思慮深く行動するよう、羽毛扇を手に自身を戒めたそうです。

(翻訳・田 秀久)