中国の山東省蓬萊市で撮った蜃気楼(Wikipedia / Fanghong CC BY-SA 3.0

 8月15日、河北省秦皇島市昌黎県の黄金海岸観光スポットの海岸に蜃気楼(しんきろう)現象が現れました。大雨の後に遠方の海面上に突然山々が現れ、人々は携帯やカメラでこの珍しい光景を記録しました。

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 古代の人は、「蜃(しん)」を蜃気楼を作り出す伝説の生物と考えていました。 古代の中国と日本で伝承されており、巨大なハマグリの形をした妖怪の一種とする説があります。「蜃気楼」の由来は名の通り「蜃」が「気」を吐いて「楼閣」を出現させると考えられていました。

 蜃気楼は海岸沿いや砂漠でよく発生します。家や人、山などが見られ、しかも動いており、生き生きとしています。蜃気楼の成因について古代は仙境と考えられていたが、现代科学では密度の異なる大気の中で光が屈折し、地上や水上の物体が浮き上がって見えたり、逆さまに見えたりする現象と解釈されています。つまり遠くの景色が屈折によって近くに見えるものと説明されていますが、実は、説明ができない現象です。

 中国の蜃気楼の最も古い記録は『史記・天官書』に「海には楼閣のような光景が現れ、荒野には宮殿のような光景が現れた(原文:海旁蜄氣象樓臺;廣野氣成宮闕然。)」と書いてあります。 中国歴史の中には山東半島の北端、神々が住む場所とされている蓬莱に蜃気楼の記録が多く残っています。

 海に山があり、蓬莱と呼ばれ、仙人が住んでいると『山海経』巻七〈海内北経〉、『史記』の『秦始皇帝本紀』に書いてあります。

 北宋の沈括が著書した『夢渓筆談』で、山東省の蜃気楼の光景に言及しています。本の中では「登州の海に時々霧があり、宮殿や楼閣、城や人、馬車などが見られ、人や動物の声まで聞こえてくる(原文:登州海中時有雲氣,如宮室台觀,城堞人物,車馬冠蓋,曆曆可睹)」と記述しています。この文は「蜃気楼」にいる人々や動物の声まで聞こえてくると書かれており、まるで本物のように感じられます。

 蜃気楼の現れは一般的に数分から数時間まで、一部は数日、または一年から数年続くものもあります。

 康煕の『漳浦県志・災祥』には「嘉靖八年四都に海嶼三峰が並んでおり、その日は海に消え、たちまち三山が一つの峰として屹立して空に昇り、楼閣の変幻が常ならず、このような者三日」と記載されています。

 この記録は「楼閣の変幻が常ならず」の蜃気楼現象が三日間続いた書かれていますが、これは現代科学では説明できません。大気の中で光の屈折が三日間続くことは考えられないのです。

 そのため、科学者たちは長年「蜃気楼」には科学では説明できない「未解明の謎」がたくさん存在していると認めています。蜃気楼は他の空間の現れだという説もあり、これは古代の人々の「人間の仙境」という考えと似ています。現代科学の推測では、宇宙には人間の肉眼で見える空間以外にも、他の空間が存在しており、物質や生命も存在していますが、肉眼では確認できません。

(翻訳・藍彧)