イメージ:Yoshitaka / PIXTA(ピクスタ)

 大昔、ある修行を目指す若者が真理を求めるために苦労を惜しまず、長年山川を越えて各地で道(に熟達した)士人を尋ねました。時間は過ぎ去っていき、彼は多くのの人に会いましたが、自分が求めている真理が全く見つからず、ひどくがっかりました。あれこれ考えても、理由がさっぱりわかりません。

 その後、彼はある私塾の先生から、故郷から遠く離れていない南山という山に、人生に関するさまざまな難題について答えられる得道した高僧がいると聞きました。そこで、彼は高僧を尋ねることを決心し、なにも構わずに山奥へと進みました。道中、彼は農夫、狩人、牧童、薬採りなどに会いましたが、結局人生の迷いを諭してくれる高僧に会うことができませんでした。

 彼は断念して仕方なく山を下りました。途中、壊れた茶碗をもって、水を乞っている物乞いに会いました。若者は自分の水筒から少し碗に水を注いであげました。しかし、物乞いが水を飲む前に、水は全部隙間から流れてしまいました。仕方なく、若者はまた少し水を注いで、物乞いに早く飲むようせきたてました。しかし、物乞いが飲もうとした時、水はまたもや流れてしまいました。

 「壊れたお碗でいかに水を盛るのか?いかに水を飲むか」と若者が不機嫌になって言いました。

 すると、物乞いは「あわれな者よ、君はあちこちで人生の道理を請うて、表面上は謙虚でいる。しかし君は心の中で、他人の言動が自分の心意にかなうかどうかを常に判断している。君は自分の意にそぐわないやり方を受け入れず、これらの先入観で君は永遠に答えを得られないのだ」と話した。

 これを聞いた若者ははっと悟り、慌てておじぎをして「大師は私が探している高僧でしょうか?」と尋ねました。しかし、何回尋ねても返答がなく、頭を上げて見ると、あの物乞いはもう姿を消していました。

 世の中には、自分の先入観を抱えて放さず、すぐ身近にある真理を無視して、最終的には真理とすれ違ってしまうような人がたくさんいます。