ポーランドの首都ワルシャワの人魚像(イメージ:Pixabay CC0 1.0)

 人魚はいったい神話でしょうか、それとも実在する生物でしょうか?これをテーマにした様々な報道を見て行けば、答えがわかるでしょう。

考古学発見

 1990年4月、香港紙「文匯報」に「考古学の最も驚くべき発見:3000年前のミイラ化した人魚の由来を科学者が解明しようとしている」というタイトルのは文章が掲載されました。

 建設作業員チームが、旧ソ連の都市ソチの外にある黒海海岸で、ある墓の中に信じられない生物を発見しました。上半身が女性の姿で、下半身が魚の尾ひれの形で、頭のてっぺんから「魚のような尾ひれ」までの長さが173 センチあります。科学者たちによると、「彼女」が亡くなったとき約100歳だったそうです。

 1991年7月2日、シンガポールの「ユナイテッドデイリーニュース」は、「ユーゴスラビア沿岸で12,000年前の人魚の化石を発見」というタイトルの報道を発表しました。報道によると、科学者は世界初の完全な形をした人魚の化石を発見しました。化石には肉と骨を引き裂くほどの鋭い歯と強い顎があり、獲物を殺すのに十分です。

人魚の種類

 1991年8月、アメリカで関連する報道がありました。2人のプロのサメ捕獲人がカリブ海で11匹のサメを捕獲し、1匹のイタチザメの胃の中に奇妙な骨格を見つけました。上半身の3分の1が大人の骨格に似ていましたが、骨盤以下は大きな魚の骨でした。当時、漁師はそれを警察に渡しました。検死官の検査によると、半人半魚の生き物であることを確認しました。警察はまた、専門家にさらに調査してもらい、データをコンピューターに入力して、骨の形状に基づいて人魚の姿を復元しました。このプロジェクトに参加したアメリカのエリス博士は、彼らが持っている証拠から、人魚は伝説または架空の生物ではなく、世界に存在する生物であると述べました。

 クウェートの「トーチ」紙の1980年8月24日の報道によると、紅海の海岸で人魚が発見されました。その形は、上半身が魚で、下半身が女性で、2本の長い脚と10本の足の指を持っていました。残念ながら、発見されたときはすでに死んでいました。

アトランティスの人魚

 生きている人魚も発見されたことがあります。1962年、科学者は小さな人魚を生きたまま捕まえました。イギリスの「ザ・サン」、中国ハルビンの「新晩報」や他の多くの新聞が同事件を報道しました。旧ソビエト連邦のレーニン科学院のウィノグレド博士が詳細について次のように話しました。1962年に科学者と軍事専門家を乗せた探索船がキューバ海域で人間の言葉を話せる人魚を捕まえました。捕まえられた人魚の皮膚は鱗(うろこ)で覆われ、鰓(えら)を持ち、頭部は人間に見えるが、魚の尾を持っていて、体格は小柄でした。人魚は「自分は海底都市アトランティスから来た」と言ったそうです。そして、研究スタッフに、アトランティス大陸の歴史を話しました。約数百万年前、アトランティス大陸はアフリカ大陸と南アフリカ大陸にまたがって存在していましたが、その後、海底に沈みました。残された住民は海底にまだ生きていて、体の下半身は魚の尾の形になりました。ただし、陸地の文明を把握するために陸地を訪れる時には、魚の尾から人間の足に変えることが自由自在にできるそうです。自然寿命は300年に及びます。その後、小さな人魚は科学者が詳細を研究するために黒海の秘密の研究機関に送られました。

その他の発見

 1958年、米国国立海洋学協会のロタン博士は、深さ5キロの大西洋の底にある人間のような足跡を撮影しました。 1968年、アメリカの写真家ムーニーは海の底で「怪物」を発見しました。「怪物」の顔はサルのようで、首は人間の約4倍、目は人間よりはるかに大きく、足には高速の「推進装置」がありました。 1938年、エストニアの人々は「カエル人間」を発見しました。鶏のように大きく張った胸、平らなくちばし、丸い頭を持っており、それはすぐにバルト海に飛び込みました。

 上記の関連情報と報道は、生物学と考古学の観点から非常に信頼性が高く、一部は物的証拠もあります。つまり、「人魚」という海底に生息するような奇妙な生き物は、空想の「神話」などではなく、非常に大切な研究テーマなのです。

(翻訳・北条)