中国は歴史上最も早く紙幣を使用した国である。世界初の紙幣は1160年、南宋時代に朝廷が銅銭の預かり証として発行した「会子(かいし)」であり、「会」とは「会計」を意味している。朝廷の規定により、会子と銅銭が同時に流通していた。
紙幣は携帯しやすいため人々に愛用されたが、不法者のニセ金作りの犯罪欲求をも喚起してしまった。さて、当時の人々はどうやってニセ金の流通を防止したのだろうか?
宋代の紙幣
宋時代の紙幣の偽造防止対策は3種類あり、紙質、図柄そして花押である。中でも一般とは異なる紙を使用する手法や「浮き出し印刷術」は現代紙幣の製造工程で未だに使用され、偽造防止術の功臣だと言っても過言ではない。
・上質な「川紙」
「宋史・食貨志三」の記載によると、宋代の紙幣には「川紙」が使用されていた。「川紙」は楮(こうぞ)の木の皮で作られ、白くて光沢感があり、耐久性に優れた紙で当時の高級紙だった。ゆえに「川紙」は「楮紙」とも呼ばれ、「川紙」で作られる紙幣は「楮幣」、「楮券」とも呼ばれた。ニセ金の流通を防ぐため、庶民間では「川紙」の売買が禁止された。
・多色印刷
当時、紙幣の印刷技術は秘密とされていた。宋代では銅板を使用し、紙幣を印刷するために銅板に偽造防止マークを刻印し、偽造の難易度を上げた。
現代の紙幣における偽造防止の重要工程として多色印刷が含まれている。多色印刷は宋代から採用され始め、赤・青・黒の三色を使用していた。紙幣は長方形で、周辺には図柄、中央には歴史人物や建物、法律規定の抜粋が多く見られた。紙幣の金額は五百文、一貫、十貫、百貫などがある。
・偽造防止の功臣―浮き出し印刷術
紙幣の印刷には唐代に発明された水紋紙工芸が使用され、「印明花」、「印暗花」に分けられる。「印明花」とは、インクを用いて文様や絵柄を直接神に印刷する技術のことだ。「印暗花」とは、模様が彫られた「磨砑」と呼ばれる板の間に紙を挟み込む手法で、浮き出し印刷術とも呼ばれている。紙の凹凸によって絵柄を表現するこの技術は今日の紙幣でも使われている。
紙幣の四隅または中心には「花押」が印刷された。「花押」とは現代の署名のようなもので、漢字を独特な形に崩したものが多い。
大明紙幣
明代になると、紙幣の偽造防止術は更に改良された。洪武八(1375)年三月、朱元璋は元代の紙幣制度を参考にして「宝幣提挙司」を設立し、紙幣用紙管理局、紙幣印刷管理局、及び宝幣庫、行用庫をその管轄とした。洪武九年、「大明通行宝幣」の印刷が始まった。「大明宝幣」の主材料に使われた桑皮紙は厚く重いため携帯に不便だと思われたが、偽造の難易度は高くなった。
・微彫による偽造防止
明代の紙幣には「微彫」という絶巧な工芸が用いられた。微彫職人は絵画、書道、彫刻に精通し、紙幣に様々な図柄や長編の歴史物語等を彫り付けた。
職人たちの絶妙な手法と技は模倣が非常に困難であるため、究極の技巧だと言われた。
・印鑑による偽造防止
明代の紙幣の表面には、「大明宝幣」と「宝幣提挙司」という2つの赤い官印が押された。紙幣の裏面にも2つの官印を押し、一つは赤い官印、もう一つは金額であった。
4つの印鑑とも偽造防止マークが設けられ、印肉にも特殊な材料が使われた。通常の朱肉とは異なり、紙幣用の印肉には硫化鉛が使用されていたため、偽造は困難だった。
「大明宝幣」の表面の下半分には、「紙幣と銅銭は同時に流通可能、偽造者は死刑とする」という法律規定が印刷されている。偽造者を検挙し、有罪が確定した場合には通報者に賞金が与えられた。それ以外にも、紙幣表面の端には番号が印字されていた。精細で緻密な「大明宝幣」の偽造防止術は、各時代の紙幣と比べて最も優れたものであった。
(翻訳・清水小桐)