2019年7月、米国訪問中の黎智英(ジミー・ライ)氏(イメージ:パブリック・ドメイン)

 今年72歳、中国共産党を批判する「蘋果日報(アップル・デイリー)」の創業者で、同紙のメディア企業「壱伝媒(ネクスト・デジタル」の株主である黎智英(ジミー・ライ)氏は、六四天安門事件をきっかけに政治活動を始め、六四天安門事件がなければ「壱伝媒」と「蘋果日報」がなかったと述べていた。

 黎氏は1948年中国の広州に生まれた。同氏は著書『私は黎智英』の中で、「中華人民共和国成立後、父が香港に逃げて、家財をすべてなくし、母も労働改造させられた。8歳、9歳のときから自分と姉妹を養わなければならなかった。かつてある香港人の旅客のスーツケースを運んだ時に、お駄賃の代わりにチョコレートをもらった。初めて見た物で、この世で最もおいしいチョコレートだと思った。香港人だから、チョコレートもきっと香港からの物で、香港はいいところに違いないと信じ、香港に行くことを決めた」と綴ってあった。

 黎氏は12歳にマカオを経て香港に逃れた。当時香港ドル1元しか持っていなかったそうだ。香港でアルバイトで稼ぐと同時に流暢な英語を身に着けた。株市場で儲かってから企業を決心し、1981年にジョルダーノファッションチェーンを立ち上げた。

 1989年六四天安門事件後、黎氏は当時香港民主党創始者李柱銘と知り合い、以降積極的に政治活動に従事し、政治の弊害を批判した。

 壱伝媒は1990年に雑誌刊行をメインに業務展開した。黎氏は六四事件において自身のメディアで「馬鹿野郎李鵬への公開の手紙」というタイトルの文章で当時国務院総理の李鵬を譴責した。その後自身のブランドジョルダーノが大陸で封鎖され、黎氏は株を安価で売却を余儀なくされた。その後、メディア事業に専念した。

 壱伝媒傘下の「蘋果日報」は1995年6月20日に創刊され、香港における中国共産党批判の少数メディアである。その報道が香港社会に大きな影響をもたらした。1999年3月19日、蘋果日報は一日54万部の販売を記録した。

 中国共産党の弾圧により、「蘋果日報」の経営が難航し、黎氏は資産売却で債務返済しているという。

 昨年香港で「逃亡犯条例」反対騒動の中、黎氏は米国を訪れ、ペンス副大統領とポンペオ国務長官にも面会していた。

 8月10日の逮捕騒動を受け、香港市民は「蘋果日報」を爆買いした。11日零時から新刊を購入する長列ができ、予定していた7万部が瞬く間に売り切れたため、「蘋果日報」は合わせて55万部を増刷した。1999年の一日54万部の記録を塗り替え、夕方にはすでに50万部売り切れた。壱伝媒の株価も一時344%に急上昇したことがわかった。

 黎氏は 英国市民パスポートを所有している が、「最後まで戦う。香港は私の家」 と明言しており、香港市民から高い支持を得ている。同氏は11日にすでに保釈された。

(翻訳・北条)