仏教僧たちが起こした奇跡については多くの物語が残されており、それらを読むことで、私たちは不思議な世界を知ることができます。私は以前から考えていました―彼らの崇高な心はいかにして生まれたのでしょうか?僧たちはどのようにしてそれを身に着けたのでしょうか?次に紹介する物語は、私たちにそのヒントを与えてくれるかもしれません。

大昔、山の中の寺院で修煉していたある若い僧がいたのですが、その若い僧は修煉に疲れてしまいました。瞑想をすることや、昼と夜に寺院を掃除すること、そうした日常のせいで「自分はつまらない暮らしをしている」と思ったのです。

彼は毎日修煉していましたが、一向に進歩がみられません。そうして、彼は修煉を続けることができるか疑うようになりました。すると、彼の気持ちを理解した先生は、彼に正しい修煉を教えるため、「山のふもとに行き仏像づくりを手伝ってきなさい」と言いました。

山の麓では、石工たちが洞窟を彫り出し、仏像を作っていました。彼らの作業場は非常に大きいのですが、大変に静かで、彫刻刀と金づちの音しか聞こえません。道具を使って石を打つ様子は、まるで楽器を演奏するかのように印象的で、その音はまるで美しい音楽のように聞こえました。若い僧はその音を聞き、心の中で密かに喜びを感じました。

その後、彼は山のふもとに何日か住むことにしました。そして毎日、作業場所の清掃や、石を粉砕して平らにする工程を手伝いました。彼は非常に興味を惹かれていたのです。刻まれた石でさえ、石工の手にかかれば雄大な優美な神々の彫刻へと徐々に姿を変えていくことに。

荒い石は、雄大かつ優美な神々の姿へと彫刻されました。

彼は、荒い石でさえも、彫刻になる前は普通の石であったことに気付きました。普通の石は雨によって徐々に風化し、ついには砂や砂利へと散ってしまうものです。そんな石が、彫刻によって生まれ変わり、ついに仏の姿になった。なんということだろうか!

彼は突然ひらめきました。「石が彫像になるのなら、同じように心を磨くことで、私の心の中にも仏の姿が刻まれるのではないだろうか?」

それに気づいた彼は喜んで寺院に戻りました。彼が戻ると、先生はちょうど料理をしているところでした。

先生は尋ねました。「どのような奇跡が起こったのか聞かせてくれるかね?」

若い僧はこう答えました。「火を起こし米を炊くのと同じように、私は薪を加えて米を加熱するつもりです。やがて生の米は徐々に美味しい米になるでしょう」

この物語と同じように、歴史の偉大な人々は、高度な次元に到達する以前に、長い間心を磨き続けてきたのかもしれません。

(翻訳・今野秀樹)