三峡ダム(イメージ:Wikimedia Commons / Source file: Le Grand PortageDerivative work: Rehman / CC BY

 三峡ダムの設計者で、中国では「三峡ダムの父」と呼ばれる中国工程院のメンバー(院士)である鄭守仁が7月24日に病死し、三峡ダムについて今も物議を醸している。

 複数の中国メディアの報道によると、鄭氏は7月24日に武漢で病死した。具体的な病気は明らかにされていないという。鄭氏は1940年1月に安徽省で生まれた。1994年から三峡プロジェクトの設計を担当し、1994年から2017年にかけて長江水利委員会の技術長、三峡プロジェクト設計代表局局長を務めた。

 鄭氏の逝去は、中国東南部の洪水氾濫、長江3回目の増水接近と重なった。

 三峡ダムの安全性については、これまで議論の的になっていた。鄭氏が亡くなったわずか1週間前、中国の公式メディアは三峡ダムの変位、浸透流、変形を認めた。

 インターネット上に23日、「三峡ダムの決壊シミュレーション」の動画に人々の関心が寄せられた。動画では、三峽ダムが決壊すると、100メートル近い高さの洪水が急速に流れ出す。河道両岸は山体があるため洪水は分散せず、その速度は時速100キロメートルを超える。三峡下流の最初の町・宜昌市(ぎしょう-し)までわずか50キロメートルしかないため、ダムが決壊してから30分以内に宜昌市街に到達する。洪水は時速70キロの流速で宜昌市を水没させ、5時間以内に市内の水位は10メートルに達する。

 洪水が宜昌市を過ぎると河道に沿って前進し続け、時速60キロメートル以上の速度で周辺の町を水没させ、洪水の高さは約15メートルから20メートルに達する。宜都市が水没された後、洪水は山地を飛び出し、開けた平原地区に到達する。洪水が分散したため、高さは8メートル以下になり、時速25キロメートルになる。荊州(けいしゅう)が水没された次は武漢市

https://youtu.be/2imob6H45BI

三峡ダム下流の湖北省の各都市(看中国/Vision Times Japan)

 この動画がインターネットにアップされるとたちまち注目を集めた。安徽省の第一線で洪水対策関係者は「希望の声(Sound of Hope)」の取材に対し、この動画は行政機構が作った災害予測ではないかとの見方を示した。一般人にはこれほど専門的な推測はできないという。

 三峡ダムは1994年に江沢民、李鵬などによって強制的に建設され、水利専門家として有名な黄万里をはじめとする専門家や学者からは強い反対の声が上がっていた。黄万里は当時の中国共産党総書記だった江沢民に3回にわたって手紙でこの計画は国家と国民にとって災難であることを指摘し、三峡ダムの建設は必ず爆破されると予言していた。

(翻譯・藍彧)