鄭瞀(zheng mao, ジョウ マウ)は成王(紀元前672年-626年 春秋時代の楚の王)の夫人です。若い頃、成王は鄭国君主の娘の付き人を妻としてめとりました。鄭瞀は付き人の身分から楚国に嫁いだのでした。

ある日、成王は高台に上がって後宮を高い所から見下ろしていた。後宮の妃やそれに次ぐ者、女官は皆争いあって成王を仰ぎ、彼の注意を引くことに積極的になっていました。ただ鄭瞀だけが成王を見ず、依然としてゆっくりと歩いていました。

成王は鄭瞀の仕草を見て、非常に不思議に思い、大声で言いました。「そこの美人、ちょっと私のほうを見て下さい」。しかし鄭瞀は頭を上げませんでした。

成王はまた言いました。「美人、一目私を見てください。あなたを夫人にします」

鄭瞀はやはり頭を上げずにゆっくりと歩いていました。成王はさらに彼女に興味を持ちました。「美人、あなたが頭を上げて私のことを見てくれたら、あなたに大金をあげましょう。また、あなたの父や兄弟に官職と爵位を与えます」。

鄭瞀は相変わらず落ち着いて自分の道を歩き、依然として頭を上げませんでした。

成王はこの美人が一般の女性とは異なっていると感じ、自ら高台から降りて彼女に聞きました。「一目私を見てくれれば、財産や身分を父兄にも与えます。それなのにどうしてあなたは承知してくれないのですか?」

鄭瞀は「婦人は容姿端麗で従順素直な性格を備えるべきです。高台に立っている王を私が見るのは儀礼に背きます。王が爵位や官禄を与えると私を誘惑しましたが、もし爵位や官禄の為に頭を上げれば、それは富や身分に未練を持つことで、身を処する道理を忘れているということです。身を処する道理を忘れていればどのように王のお世話をするのですか?」

楚成王は鄭瞀の言うことに納得し、その通りだとすぐさま彼女を夫人にしました。

図は西漢 劉向 「楚成鄭瞀」(公有领域)

鄭瞀は付き人の身分から楚国に嫁ぎましたが、彼女は財産、身分と地位を求めるためではなく物事の道理をわきまえた身を処する道理を貫いたため、かえって成王から寵愛を受け、尊重されました。

参考資料:『列女伝 節義伝』(前漢の学者、政治家劉向(りゅう きょう、紀元前77年―紀元前6年)によって撰せられた)

(翻訳・項内秀)