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 卒業してから数年経ったとき、同級生と一緒に大学の先生に会いに行きました。先生は私たちの近況を聞いてくれました。私たちは、仕事上のプレッシャー、生活のトラブル、商売でのつまづき、出世の難しさなどなど、不満を垂れ流してしまいました。

 先生は、愚痴話で口が乾いた私たちを見て、笑いながらたくさんのコップを取り出してテーブルに置いて、自分で好きなものを取って水を注いて飲むように言いました。これらのコップは、材質も形も様々で、明らかに高級そうなものもあれば、安っぽいものもありました。

 全員が水の入ったコップを手にしたとき、先生は、テーブルに残っているコップを指差しながら言いました。「気づきましたか、皆さんは見た目が最も綺麗で高級そうなコップを選び、外見が良くないコップを選びませんでした。」きれいなコップを欲しがらない人はいないでしょうと私たちは思いました。

 先生は言いました。「実はこれが悩みの種です。皆さんに必要なのは水であって、コップではないのです。しかし人は無意識に綺麗なコップを求めてしまうものです。人生も同じです。人生が水であれば、仕事、金銭、出世などは水を入れるための道具にすぎません。コップの良し悪しは水の質に影響しません。コップに気を取られていると、水を味わうことができなくなり、無意味なことに悩んでしまうことになるのです。」

(翻譯・常夏)