私たちは幼いころ多くのことを信じていましたが、成長するにつれて存在しないと分かったこともある。しかし、それが本当に存在しないとは言い切れない。証拠がないから人騙し、このような言い方は現実論理には当てはまるが、融通が利かない。二三百年前に、私たちの地球は惑星であり、地球以外に他の星もあると言ったら簡単に受け入れられないだろう。科学の発展に従い、私たちは肉眼で見たものだけが真実だと思っていた。一つのことがいくら真実であっても、この目で見ない限り人々は信じない。私たちは見たもの、触れたものを信じ、存在しないものを信じない。本当に見て、触れて初めて信じる。存在しない領域を感受しない。

盲目の物語

ニューヨークからボストンまでの電車の中で、私は隣の人が盲人であることに気付いた。偶然にも、私の博士論文の指導教授も盲人であり、盲人と話すのは慣れていた。私は彼に暖かいコーヒーを入れてあげた。

当時、ロサンゼルスでは人種暴動が起こっていた。そのため私たちの会話は自然と人種差別に関するものになった。彼はアメリカ南部出身で、小さい頃から黒人は白人より一段劣ると考えていた。実際、彼の家の使用人は黒人で、彼は南部にいるときに黒人と一緒に食事をしないし、黒人と一緒に学校に通ったこともない。

彼が北部の学校に通っていたある日のこと、彼は同級生にバーベキューの幹事を頼まれた。そこで彼は招待状に「何人にも拒否する権利を与える」と書いた。南部でこの言葉の意味は、「黒人を歓迎しない」という意味である。当時、クラス中が大騒ぎとなり、彼は学部長に呼び出された。

彼は店でレジが黒人店員の時、お金をカウンターに置き、黒人店員に取らせて相手といかなる接触もしようとしなかったそうだ。

それを聞いた私は、微笑みながら「じゃあ黒人とは結婚しませんね!」と聞いた。彼は大笑いして「黒人と接触しないのにどうやって黒人と結婚するんだい?正直言って、黒人と結婚すれば父母に恥をかかせてしまうと思っていたよ」と言った。

そんな彼が以前、ボストン研究所にいたときのことである。交通事故に遭ってしまい、一命をとりとめたが、失明して何も見えなくなってしまった。彼は盲人学校に入り、そこで点字を習い、杖を使って歩けるようになった。彼は徐々に独立して生活できるようになった。

彼は続けて話した。
「目が見えなくなってから私を一番悩ませたのは、相手が黒人なのかわからないという事でした。心理カウンセラーにこの問題を相談するとカウンセラーが私を諭してくれ、私は彼を信頼し、何もかも彼に話した。彼を自分のよき師、またよき友と思っていました」

「ある日のこと、そのカウンセラーから、彼が黒人であると教わりました」

「その後、私の偏見は段々消えていった。相手が白人か黒人かわからなくても、私にとってよい人なのか、悪い人なのかわかればいい。肌の色は何の意味もない」

列車は間もなくボストンに着くところだった。彼は「視力を失ったが、偏見はなくなった。なんと幸せなことか!」と言った。

ホームに着くと、彼の奥さんが待っていた。二人は親しく抱き合った。
ふと見ると、奥さんは真っ白な髪の人であったのだ。私はこれで気付いたのだが、自分は視力を失っていないが、偏見も失っていない。なんと不幸なことだろうか!

聞いたこと、あるいは見たことだけを信じてはだめだ。心で感受し、会得し、体験することが中道である……

(翻訳・時葦瑩)