春秋時代、孔門十哲の一人である閔子騫は、優れた美徳と教養で知られていた。

 閔子騫(びん しけん)は幼くして母を亡くし、彼の父は継母を娶り、二人の息子が生まれた。閔子騫は、日頃から継母から虐待されていたが、父と継母の関係に影響を与えないように、ずっと黙って耐えていた。そのため彼の父は、継母が閔子騫を虐待していることをずっと知らなかった。

 ある年の冬、継母はわが子には厚い綿で作った暖かい服を着せたが、閔子騫には蘆の花で作った薄い服を着せた。ある日、父は閔子騫を馬車に乗せ出掛けようとしたが、閔子騫は薄着のせいで、凍えて馬車に乗ることすらできなかった。父は彼を責問したが、彼はずっと黙っていた。だが父は無意識に閔子騫の手に触れて、彼の両手が氷の様に冷たくなっているのに気付いた。父はこの時やっと、閔子騫が薄着で寒さに耐えられなかった事を知った。

 家に戻り、父は継母と二人の息子を呼んだ。父は継母と二人の息子が厚くて温かい服を着ているのを見て、継母に「お前を嫁にもらったのは、私の息子の面倒を見てもらうためだ。私を騙したな。出て行きなさい!もうこの家にお前は必要ない!」と言った。それを聞いた継母はショックを受け唖然とした。

 この時、閔子騫は父の前に走り出て「母が居れば寒い思いをするのは私一人ですが、母が居なくなれば、三人の子どもが母親の愛情を失い寒い思いをするでしょう」と訴えた。継母は彼の言葉を聞いて、とても恥ずかしく思い改心した。閔の父は彼の言葉に納得し、妻との離縁を止めた。

 閔子騫は、継母から日常的に虐待を受け、不公平に扱われていたにも拘わらず、善良で人を恨むことなく、常に心の中の浄土を守っていた。数千年の歳月を経ても、彼の行動には心を揺さぶるものがある。

出典:『二十四孝』。『二十四孝』(にじゅうしこう)は、中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物である。(ウィキペディア)

(翻訳・柳生和樹)