イメージ:Buianskiy Dmytro / PIXTA(ピクスタ)

 最近、しばらく机の対面の同僚と会えませんでした。仕事の都合で、私たちは二人で代わり替わり出張し、ちょうどすれ違かっていました。以前はよく顔を合わせていて、時間が合う時にいろいろな話をしました。その議論では常に刺激を受けていましたので、会えなくなると心もとなくなります。
 
 今朝、車で通勤している時に、たまたま道路脇の歩行者を見て、同僚だと思いました。スピードを落として窓を開けて挨拶しようとした時、同僚ではないと気付きました。ただ髪型とスタイルがよく似ていた人だったのです。
 
 オフィスに着いた後、メールをさばいていたとき、廊下を歩く音や電話の音が聴こえてきた。それはまるで同僚の声のようでした。

 同僚の仕事が早く終わったのだと思い、迎えに行こうとしたら、廊下の音がだんだん小さくなっていった。後を追って出て行くと、それは廊下にいた清掃員の方が電話で話したり、廊下の隅を掃除したりしているだけでした。 
 
 私は席に戻り、ほんのわずかな時間のうちに2回も人間違いをしてしまったと溜息をついた。 通行人も廊下の清掃員もみな同僚と似たような雰囲気でしたが、やはり違う人です。似ているというだけで、どうして二度も人間違いをしたのだろうか。

 根源はやはり、同僚と長い間会っていないことでした。確かに、心の中で何かを思っていると、目に見えているものが違うように見える場合があります。「心の中にある影」が知らないうちに我々の判断に影響を与えているのです。

 人を見たり、声を聞いたりするときには、頭の中のちょっとしたことでも混乱を招くことがあります。もしも、私たちの心の中に強い先入観や偏見があるとしたら、問題を見たときにどこまで迷走してしまうのでしょうか。

 私たちは自分自身が冷静で合理的だと思っていますが、思考は簡単に乱されます。 私たちは自分の判断を信じ込んでいますが、多くの場合、それは自分の偏見の産物でしかない場合があります。客観的で正確であるためには、我々は常に気を配り、自分自身を自省しなければなりません。最大の妨害は外から来るものではなく、心の内にあるかもしれません。

(文・青松/翻訳・忱楽芳)