前漢の武帝・劉徹(イメージ:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン)

漢・晋・隋・唐の皇帝の帝王の年号は『易経』由来が多い

 西暦が使用されていない時期に、古代中国は帝王の統治した年数で年を記録するという帝王紀年法が採用されていました。例えば「周宣王元年(西暦紀元前828年)」や「魯隠公三年(西暦紀元前720年)」などのように、帝王紀年法は夏・商・周・秦そして漢の前期に通用されていました。

 西暦紀元前140年、前漢の武帝により、中国史上初めての年号「建元(けんげん)」が創始されました。以来、中原の帝王は帝王紀年法ではなく、年号紀年法で年を記録しました。

 漢王朝では、『易経』の中にある「元」という文字で年号を決めることが多かったです。武帝の11個の年号の中で、「元」が含まれているものは7個もあります。「元」は、『易経』の六十四卦の第一番の卦・「乾卦」の中の首位にあり、「始まり」を意味します。

 唐王朝でも、ほぼすべての帝王の年号は『易経』と関係していました。唐太宗の唯一の年号「貞観(じょうがん)」の出典は『易経』です。「貞」は「正」を意味します。政治の吉凶も国の盛衰も、正しい道に則って行われているかどうかに左右されます。「貞観」とは、正しい道に沿って国を治めることを意味します。唐太宗は、確実に正しい道に沿って国を治める事ができましたので、やがて「貞観の治」を成し遂げました。

明・清王朝の盛世時代の皇帝の年号

 「永楽(えいらく)」は、明王朝第3代皇帝・成祖朱棣(しゅ・てい)の年号です。その意味は、永遠に太平な世界で、人々が豊かな暮らしを楽しむ、というものでした。永楽帝治下、明朝の国力は全盛期に達し、国民は安らかに暮らし、国の影響力も飛躍的に高まりました。

 「康煕(こうき)」は、清王朝第4代皇帝・聖祖愛新覚羅玄燁(アイシンギョロ・ヒョワンエ)の年号です。「康」は太平無事なことを指し、「煕」は盛んであることを指します。つまり「康煕」の意味は、太平で繁栄した世の中で国民が平安に生活するという意味なのです。清王朝の繁栄している時代はまさに康煕の時代から始まりました。この年号は61年も使用され、中国史上最も長く使用された年号です。

年号は時代のシンボル

 年号は、時代のシンボルであり、当時の帝王のシンボルでもあります。歴代の帝王は年号を用いて、天に命じられた使命を称え、統治の理念を宣言しました。年号には、歴代の帝王の「国民の太平と統治の安定」の願いを込められていました。

 神獣などの瑞兆を見た時、帝王は改元をすることがあります。例えば、三国時代に、呉国の夏口や武昌などで鳳凰が見られたため、当時の呉国の皇帝・呉太祖孫権は元号を「黄龍(こうりゅう)」に改元しました。

 時に、政治情勢の変化も改元の原因になります。前漢の元帝時代、匈奴の呼韓邪単于が元帝を拝謁し、漢と匈奴の平和の協定を結びましたため、元帝は辺境の安寧を祝って、年号を「竟寧(きょうねい)」と改元しました。

 年号紀年法が採用されてからはや二千数百年間。この間に600以上の年号が採用されました。それぞれの年号には、統治が永遠に安定するようにと、帝王たちの願いが込められています。しかし、永遠に続く統治などはありません。世代交代こそが歴史の必然です。

(文・秦順天/翻訳・常夏)