(イメージ:蒋介石の写真の所有権は中華民國總統府に帰属します)
蒋介石は1949年1月31日の日記の中で「今回の革命における共産党匪賊討伐の失敗の原因は中国共産党にあるのではなくソ連のスターリンにある。さらに見れば失敗の原因はスターリンではなくアメリカのマーシャルにある」と記している。アメリカとソ連が中国共産党に肩入れしたために、成功直前の共産党討伐は失敗に終わった。
アメリカのルーズベルトとトルーマンの対中国政策を見ると、確かに理解しづらいところがあります。アメリカがマーシャルを中国に派遣したのは、表面上では国民党と共産党の内戦を避けるためという理由でしたが、結果的にはヤルタ会談で結ばれた密約を確実なものとするためでした。それはつまり、共産主義の拡張の勢いを東方に向けさせ、西欧に侵攻しないように仕向けるものでした。
1945年12月末、トルーマン大統領はマーシャルを特使として中国に派遣し、国民党と共産党の協力を促しました。空港で彼を出迎えたのはアメリカ軍中国戦区参謀長のアルバート・ウェデマイヤー将軍でした。ウェデマイヤー将軍はマーシャルの真の意図を察すると、上司であるマーシャルに直言しました。「国民党と共産党は団結などできません。将軍。あなたは達成不能な任務を背負って中国に来たのであります。」この進言を聞いたマーシャルは激怒しました。マーシャルはすぐさま張群と周恩来とで三人組を作り、アメリカ、中国国民党、中国共産党の間の高度な意思疎通を図ろうとしました。
1951年6月9日、朝鮮連合国総司令官だったダグラス・マッカーサー将軍はこう指摘しました。「マーシャルの中国訪問はアメリカ外交史上における最大のミスであった。自由主義諸国は現在、そのために流血と災難という代価を支払っているのだ。」元部下に対するマッカーサーのこの評価はこの上なく的確なものでした。
1946年、ウェデマイヤー将軍はアメリカに帰国した際の演説にて、「私と蒋介石との二年間の付き合いの中で、蒋介石は公正無私なリーダーだったと私は確信しました。彼は人々の幸福に対してきわめて強い関心を持っていた。そして孫文の理念に合った民主的な政府を築くことを切に望んでいました」と語っている。
残念ながらマーシャルはウェデマイヤー将軍ほど正確で透徹した見解をもっていたわけではありませんでした。
アメリカ国家安全局は、1995年から1996年にかけて情報公開した「ヴェノナ計画」文書、およびソ連解体後にわずかな間だけ公開されたKGB(旧ソ連国家安全委員会)と国内の政務保存書類を分析した結果として次のような指摘をしております。それによると1930年代から、ソ連の特殊工作員および在米の各種共産党員は系統的にアメリカ社会に浸透工作を行ってきました。重要な軍事機構および外交機構のほとんどには、程度の違いこそあれソ連共産主義スパイが浸透していたとする指摘もあります。
米軍は沖縄に侵攻した際、日本軍と激戦を行い、4万8千人というきわめて多くの死傷者を出しました。2万人を超す兵士が精神疾患を患い、これにより1万4千人が退役しました。アメリカ軍最高指揮官のバックナー中将は日本軍の砲弾に当たって戦死しました。日本軍沖縄島司令官の牛島満大将は切腹しました。日本はポツダム宣言を拒絶した後、アメリカ軍は太平洋諸島の死傷者の惨状を見て、日本に対して原子爆弾の使用を決めたのです。スターリンはアメリカが広島に原子爆弾を投下したことで中国東北地方への出兵を早めました。
アメリカの情報部門はすでにソ連が中国東北部に出兵することによってもたらされる深刻な結果を敏感に察知していました。しかし、マーシャルはそれを少しも気に掛けることはありませんでした。ソ連の中国東北部に対する侵攻の影響は、その後の歴史が如実に語っていまし。
「ソ連がアジアの戦争に介入することは世界を震撼させる重大な政治事件でした。その負の影響は数十年後に明らかになってきます。そのころには、ソ連のアジアにおける軍事的存在意義は逆にあまり重要ではないかのように見えるでしょう。ソ連がアジアの戦争に介入すれば、アメリカはアジアにおける現在の地位を失うこととなります。それはまるでアメリカの東ヨーロッパ(エーベル川からアドリア海)における地位をすでにソ連によって跡形もなく破壊しつくされているかのように。」
「もしソ連がアジアの戦場に介入すれば、中国はまちがいなく主権の独立性を失うでしょう。中国はアジアのポーランドとなり、アジアのルーマニアになりかねません。さらに満州はアジアにおけるブルガリアになったかもしれません。中国が名義上存在しうるのかどうかは現時点でも未知数です。蒋介石は追い払われ、中国ソビエト政権が南京で成立し、アメリカはそれを承認せざるを得なくなるでしょう。」
「もし我々が現在、ただ兵士の命を救い時間を捻出するためだけにソ連に譲歩すれば、将来的には我々計り知れないほどの人命と栄誉を失うでしょう。それは同時に同盟国の中国を壊滅させることになってしまいます。これは大西洋憲章に対する蹂躙であり、世界和平に対する恥ずべき行いとなるでしょう。」(マッカーシー、『勝利から撤退するアメリカ』、1965年)
延安でのアメリカのオブザーバーは中国共産党の宣伝に騙されていました。
「中国共産党とソ連共産党の間にはすでに関係性はない。以前中国共産党は国際共産インターナショナルとも関係があったが、今はもうなくなった。共産党は長期にわたる中国の伝統を取捨選択し、不純物を取り除き純粋な果実を取り入れたのである(“Remarks of Mao Tso-tung to Maurice Votaw,” 18 July 1944, FRUS, 1944, Vol. 6, p.538.)」
中国共産党はイメージアップを図るために普通の農民政党を装い、アメリカの価値観に迎合しようと励み、あたかも連合政府を成立したかのような宣伝を大々的に行いました。
1945年1月末、在中アメリカ大使のハーリーはアメリカ政府の親共政策に不満を抱き、怒って辞職してしまいました。後に彼がアメリカ記者クラブで行った演説では、次のように述べました。「わが国の国務省の一部の外交対策担当官は中国共産党を武装させることを支持しています。そのため、伝統的なアメリカの対中国政策はすっかり変質してしましました。」。彼は続けてこう言いました。「トルーマンが私に指示したことは、中国におけるソビエトロシアの覇権を認めることでした。それはすなわちソビエトロシア共産主義国家が保有する特権に賛同し、中国の自由と独立を損なうことなのです(『国民党と共産党の内戦を暴く:文化の衝突』、諸玄識)」
(おわり)
(文・「千古英雄人物」研究チーム/翻訳・夜香木)