清明の時節、中国北宋の都開封の都城内外の人士が行楽して繁栄する様子を描いている『清明上河図』(一部)(北宋・張択端)(パブリック・ドメイン)

 「清明(せいめい)」とは、二十四節気の五つ目の節気です。四月の上旬、冬の寒さが和らぎ、春の息吹が訪れ、々しい空気とるい日差しが差すこの時期が「清明」と名付けられました。今年2025年の清明(節)は4月4日(金)です。

節気としての「清明」

 中華圏において、「清明」は二十四節気の一つだけでなく、お墓参りをする時期でもありますので、「清明」は中華圏で唯一「祝日」となった節気です。毎年の4月4日・5日もしくは6日であり、春分の日から15日後となります。
 四季・気候などの視点で地球上の一年を仕分け、農業活動の是非に大いに参考になる「二十四節気」。五つ目の節気である清明の時期になると、気温が上昇し、田畑を耕す「春耕(しゅんこう)」の時期となってくるので、農家の皆さんは忙しくなってきます。ところが、花を咲かせる春の風が吹く反面、天気がまだまだ不安定な状態が続いているので、農家の皆さんは作物の成長に悪影響を及ぼさないよう、清明の時期の天気にとりわけ注意を払っています。
 例えば、中国農家の言い伝えでは、清明の当日に吹く南風は豊作の年の兆しで、北風は不作の年を予言してしまうとのこと①、清明の前後の寒波が不意打ちしてくるので、くれぐれも要注意とのこと②。また、清明の日に雨が降れば、穀雨の日には必ず晴れるという言い伝えもあり③、清明の日は芋を植え、穀雨の日は生姜を植えることがよさそうです④。

祝日としての「清明節」

 一方、祝日としての「清明節」は、祖先の墓に参り、草むしりをして墓を掃除する日であり、「掃墓節」とも呼ばれました。その起源は周王朝期までさかのぼり、二千五百年余りの歴史を持ちます。長い歴史の中で、清明節は日付の近い「寒食節」を吸収するようになり、「寒食節」は「清明節」の別名ともなりました。さらに、清明節は春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれるようになりました。
 ここで、清明節の慣習をいくつかご紹介します。

・お墓参り

 中国の民間人の清明節のお墓参りは主に「掛紙」と「培墓」の2種類に分けられます。「掛紙」は「圧紙」とも呼ばれ、お墓に「墓紙」と総称されるお線香、蝋燭、お花、冥銭(めいせん)などの供え物を置いておくことで、ご先祖様の屋敷を修繕する意味合いもあります。また「培墓」とは、結婚、出産、出世などすごく良いお知らせがご先祖様にできるようになると、三年連続、お肉やお餅などの豪華な供え物を供えておきます。

・春野菜の冷食

 この風習は「寒食節」由来です。伝統的な寒食節においては数日間、火を使わず、冷たい食事だけで過ごしました。「寒食節」が「清明節」に吸収された後も、冷たい食事の慣習が続きました。南北朝時代(紀元439年~589年)では、大麦のおかゆ、「杏仁酪」というスイーツ、そして春の旬の野菜を火を通さず食べていました。今日、台湾一帯では清明節の時期に「潤餅(生春巻き)」をもってご先祖様を祭り、食べています。

・踏青(とうせい)、鞦韆(しゅうせん)、凧(たこ)

 清々しい空気と明るい日差しが差す「清明」は、春の行楽にうってつけな時期です。お墓参りは通常、郊外に行く必要があるので、その道中の草をんで遊ぶ、春の景色を存分に楽しむことを「踏青(とうせい)」と呼び、これが次第に清明の慣習にもなりました。
 「鞦韆(しゅうせん)」とはブランコのことです。中国北方の民族が由来とされるブランコが中原地域に伝わり人気になり、子供たちが大好きな遊具となりました。ブランコをこぐことによって、長い冬休みから体を動かし、春の暖かさを胸いっぱいにして元気になります。
 一部の地域では、凧を揚げることを清明節の慣習としています。清明節の日に揚げた凧の糸を切断し、凧を遠くまで飛ばすことで、厄病も凧と一緒に遠く離れ、幸運が訪れるとされています。

清院本「清明上河図」(一部)18世紀 台湾国立故宮博物院(パブリック・ドメイン)

まとめ

 清明節では、お墓参りがメインになりますが、春野菜の冷食や春の行楽も伝統的な慣習になっています。この祝日では、祖先の霊を祭る厳かさもあれば、春の行楽の楽しみもあります。「親の葬式を慎んで丁寧に行い、先祖の霊を粗末にせずに追慕すれば、民は自然に徳を重ねて厚みを増していく⑤」と、中国の哲学者・曾子はおっしゃいました。亡くなった先人たちを心より偲びながら、春の訪れを思う存分楽しむことが、清明という日の最高な過ごし方なのではないでしょうか。


①中国語原文:清明風若從南起,預報田禾大有收。
②中国語原文:「三月初,寒死少年家」「清明穀雨,寒死老虎母」
③中国語原文:雨淋墓頭紙,日曝穀雨田。
④中国語原文:清明芋,穀雨薑。
⑤中国語原文:曾子曰、慎終追遠、民徳帰厚矣。(『論語・学而』より)

(文・美慧、Yi-hsin Lu/翻訳編集・常夏)