(イメージ:看中国/Vision Times Japan)

 古代の有名な医学者のうち、実に素晴らしい修道者である人はたくさんいた。張天師の本名は張陵、後に張道陵に改名した。彼は沛国の豊(今の徐州)出身、後漢王朝時代の天師道(正一道)の創始者である。伝説によると、彼は漢順帝時代の漢安元年(西暦142年)に老子の降臨に逢い、《太平洞極経》を伝授され、天師に務めると命じられた。後人から道教三祖の一人と尊称され、寿命が123歳にも達し、最後は四川の渠亭山で羽化登仙した。

 張道陵が道を修習した後、人の病気を祓うことができ、蜀の地方では数万人もの弟子が入門した。蜀の人々は純粋かつ淳朴で道に合致するので、引導されやすい。張道陵は衆人を連れて道路や橋梁の建設、木の伐採、除草、ゴミ清掃などを行い、義務的に方円で数十里範囲内の公共事務を担った。

 張道陵は強制的な手段で弟子や学徒を扱いすることなく、道徳と礼儀で人々の行為を引導して規範することにし、そして人々の思想境界を向上させることにした。当時はちょうど疫病が蔓延している時期であり、張道陵は奇術で有効に疫病を退治した話が伝われている。

 張道陵は疫病を感染した人に対し、自分が生まれてからの過ちを一つ一つ思い出し、自ら紙に書いて記録して、水に投げる。そして過ちと悪事を辞める決意を表し、万が一再犯した場合の懲罰として、自分の命を終わらせてくれると神様に誓うことにさせた。人は彼の言う通りに実行したら、やはり疫病が治った。すぐに、この話は広がり、人々は皆同じ方法で病気から回復したため、短い間に疫病が消えていた。

 張道陵とその子孫及び弟子に合わせて、計数十万人の疫病を治していた。その方法は疫病を退治しただけでなく、人々はより神様を尊敬し、より美徳を重視し善行を積むことにするため、社会の犯罪率も著しく低下した。実は、張道陵はこの方式で彼の法門の「道」、及び世界と人々を救濟する方法をこの世に残した。

(文・魏仁/翻訳編集・Jerry)