中国湖南省の唐辛子農家はこのほど、地元官僚と官製メディアが結託し、自身の唐辛子の収穫量を誇張して虚偽報道を行ったと告発しました。大躍進時代のような虚偽報道が今日も行われていることに人々は驚愕し、この件は中国国内のネット上で大きな議論を呼んでいます。
「すべてデタラメだ」
告発したのは、湖南省で唐辛子を栽培する「唐辛子兄貴」として知られる農家の男性です。男性の動画は「X」を通じて海外でも拡散され、注目を集めています。
「唐辛子兄貴」は告発動画の中で、「報道では、私の唐辛子収穫量が2万斤(約10トン)に達し、1キロ当たりの価格が5~6元(約100円前後)で、今年40万元(約720万円)稼ぐ見込みだと報じられた。しかしそれはすべてウソで、捏造されたものだ」と述べました。
「唐辛子兄貴」が指摘した「時刻新聞」というメディアの報道では、唐辛子栽培農家の黄沢華(こうたくか)さんが180ムー(約12ヘクタール)の唐辛子を栽培し、収穫が順調であるとされています。1日で1万斤(約5トン)収穫でき、年間40万元稼ぐ見込みだと報道しています。また、記事は「黄桑郷(こうそうごう)の各村落では唐辛子の栽培面積が1,000ムー(約66ヘクタール)に達した」と報じています。記事では、「唐辛子兄貴」が大きな袋に詰めた唐辛子をトラックに積み込む写真も掲載されていました。報道自体は2023年6月12日に公開されたものでした。
「唐辛子兄貴」は、これは政府によるプロパガンダであると強調しました。「これは官僚たちが執政の成果を宣伝するためのものだ。私が気付いたときには閲覧数が1万9,000から2万件に達していた。しかし、当時、私の唐辛子は1キロ4元(約80円)しか売れず、全く利益が出なかったのだ」と述べました。
報道では、地元政府が唐辛子栽培を奨励していることにも言及していました。そして、官僚たちが「産業チェーンを拡大し、観光や農産物収穫体験を融合した農村観光を推進している」という内容も含まれていました。
これに対し「唐辛子兄貴」は、「報道はすべてデタラメだ。唐辛子の栽培面積が1,000ムーと言われているが、実際は100から200ムー程度に過ぎない」と怒りをあらわにしました。記事の署名には、文章を書いた記者だけではなく、地元の幹部の名前もありました。「唐辛子兄貴」は、このことは官僚が虚偽を広める中心的役割を果たしたことを示唆していると考えています。
「唐辛子兄貴」は「後になって自分が騙されていたことに気づいた」と話します。そして、ネット上の視聴者に向けて「どうすれば自分自身の法的権利を守れるのか」「共産党官僚が名声を悪用したことについて、訴えることができるのか」と助言を求めました。
公開されている情報によると、「時刻新聞」は湖南省政府が運営するニュースサイト「紅網」によって運営されているニュースアプリで、その本部は湖南省長沙市にあります。
中国共産党の官製メディアが虚偽の宣伝を行うことは、すでに国内外で広く知られています。ネットユーザーたちはこの事件をきっかけに、虚偽報道が繰り返される理由をまとめました。
1つ目は、官僚が業績を誇示するためです。2つ目は、中央政府から特別予算や大規模プロジェクトの資金を得るためだといいます。普段、中国共産党の官僚たちは農民のことを全く気にかけないが、自分たちも利益を得られるとなると、急に農業に関心を示すのだという意見も見られました。
ネット上では、「唐辛子兄貴」の告発に対して多くの意見が寄せられています。
「官僚が政績を作ろうとして、結局バレただけだな。」
「これは共産党の古い伝統だ。驚くようなことじゃない。」
「すぐに虚偽の報道を否定するべきだ。そうしなければ、40万元(約720万円)の収入があったとして多額の税金が請求されるかもしれないぞ!」
「1,000万斤(約5,000トン)とか書かれなかっただけ、まだ控えめだと思うべきだな。」
繰り返される虚偽宣伝
このような虚偽宣伝は、決して新しい現象ではありません。最も極端な例は、1958年の「大躍進」時代にまで遡ります。当時のメディア報道では、現実とかけ離れた農作物の収穫量が次々と発表されました。
『人民日報』は1958年、次のような「驚異的な収穫量」を伝えています。
1958年7月12日には、河南省西平県の小麦試験場で、1ムー(約0.07ヘクタール)あたりの平均収穫量が7,320斤(約3.7トン)に達したとされました。また、小麦の密度は「1ムーあたり1,486,200株に及び、ネズミも通れないほどだ」と主張されています。
1958年8月13日には、湖北省麻城県で、小麦の平均収穫量が1ムーあたり36,956斤(約18.5トン)に達したと報じられました。
1958年9月18日には、広西チワン族自治区で、稲の平均収穫量が1ムーあたり13万斤(約65トン)に達したとされ、高密度な作付けによる「高収穫量の新記録」を達成したと報じました。
これらの信じがたい数字はどのようにして生まれたのでしょうか?
公開された情報によると、河南省西平県の虚偽報道は、当時の信陽地区の中国共産党書記の指示が直接的な原因となりました。当時、隣接する遂平県では小麦の収穫量が1ムー(約0.07ヘクタール)あたり3,520斤(約1.8トン)と報道されていました。これを受けて、信陽地区の共産党書記は西平県委書記に対し、「西平県は条件が遂平県より優れているではないか。収穫量は必ず遂平県を上回らなければならない」と圧力をかけました。
この指示を受けて、西平県の共産党委員会は全幹部を集めて会議を開催し、どのように高い収穫量を達成するか議論しました。下級幹部はまず1ムーあたり200斤にしようと報告しましたが、上級幹部は「全然足りないではないか」とプレッシャーを掛けました。そして数字は400斤、600斤、800斤と次々と吊り上げられ、最終的には1,100斤でようやく「合格」とされました。
しかし、遂平県の3,520斤という収穫量を上回るため、さらに高い数字が求められました。最終的に、下級幹部が報告した収穫量は1ムーあたり7,320斤(約3.7トン)という荒唐無稽な数字でした。同様のプロセスで、湖北省麻城県や広西チワン族自治区でも驚異的な収穫量記録が人為的に作り出されました。
虚偽報告が引き起こした大飢饉
さらに荒唐無稽なのは、中国共産党の指導者たちがこれらの虚偽の報告を信じ切っていたことです。
1958年8月、毛沢東が河北省徐水県を視察した際、現地の共産党委員の書記は収穫量を誇大報告し、「山芋は1ムー(約0.07ヘクタール)あたり120万斤(約60トン)、小麦は12万斤(約6トン)収穫できた」と述べました。これを聞いた毛沢東は「もっとたくさん食べる方法を考えねばならないな。一日五食でもいいではないか」と述べたとされています。
しかし同時に、中国政府はこの虚偽の生産量データをベースに穀物を徴収しました。徴収量は実際の生産量を大幅に上回り、農民たちは家にある貯蓄まで政府に差し出さざるを得ませんでした。その結果、翌年の春を乗り切るための食糧がなくなり、中国全土で大規模な飢饉が発生しました。
中国共産党の公式記録では、3年間にわたる大飢饉の正確な死亡者数は公表されていません。そのため、民間の証言や書籍をベースに大まかな数字が推測されています。
2007年、海外在住の学者・丁抒(ていしょ)氏は著書『陽謀』の中で、大躍進により、3,500万~4,000万人が餓死するという悲惨な結果になった、と指摘しました。
2009年末、中国の著名な稲専門家である袁隆平(えんりゅうへい)氏はメディアのインタビューに応じ、「大飢饉では4,000万人から5,000万人が死亡した」と初めて言及しました。
2010年9月、香港大学教授のフランク・ディケッター(Frank Dikötter)氏は著書『毛沢東の大飢饉: 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962』の中で、中国全土の機密解除された文献を調査したところ、4,500万人が非自然的な原因で死亡したと結論づけました。
このような中国共産党幹部による荒唐無稽な行為は、あとどれほど続くのでしょうか?多くの人々はそのような疑問を禁じえません。
(翻訳・唐木 衛)