カワセミ(Artemy Voikhansky, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)

 古代中国の金銀装飾品は、その豪華絢爛な美しさで知られていますが、その中には一風変わった、非常に繊細で儚い美しさを持つ素材も使われていました。その名は「翠羽(すいう)」です。

 「翠羽」とは、カワセミの羽のことです。カワセミは中国の福建省南部や広東省あたりに定住している留鳥(りゅうちょう)で、背や尾、そして翼には、光沢のある美しい青色の羽が生えています。光の当たり方によって、月の光を思わせたり、湖面の青さを思わせたりと、様々な色合いを見せ、とても華やかで変化に富んでいます。古代中国の職人たちは、金や銀、宝石で作られた装飾品は、どこか硬くてこわばってしまうものだと考え、装飾品に羽を埋め込んで、生命力と柔らかさを加えようと考えました。こうして、柔らかくて優美な雰囲気あふれる「点翠(てんすい)」という技法が誕生しました。

 「点翠」に用いられるカワセミの羽は、左右の翼からそれぞれ十枚(業界用語で「大条」と呼ばれる)、尾の羽から八枚(業界用語で「尾条」と呼ばれる)採取されます。そのため、一羽のカワセミから採取される羽は通常、約二十八枚です。また、病死したカワセミの羽(業界用語で「暗条」と呼ばれる)は、上質な装飾品には用いられません。カワセミの羽は部位や加工方法によって異なる色彩を呈し、中でも特に鮮やかな青色と菫色が最上級とされています。加えて、羽の自然な模様と光の屈折により、点翠の装飾品は変化に富み、生き生きとした表情を見せてくれます。

 漢代に誕生した点翠は、金属加工と羽毛加工が見事に融合された技術で、中国の装身具工芸の傑作と言えるでしょう。金や銀などの金属で様々な模様の台座を作り、その上にカワセミの羽を丁寧に埋め込んでいきます。この工程はとても複雑なだけでなく、材料となるカワセミの羽も手に入りにくいことから、点翠の装飾品は古くから富裕層向けの特別品でした。

 点翠は清の乾隆時代に最盛期を迎えました。特に、当時流行していた「点翠鈿子」と呼ばれる髪飾りは、制作工程が非常に複雑でした。まず、金や銀の板を花の形に切り出し、土台を作ります。次に、その土台の模様に沿って金糸を使って溝を作り、その溝に適量の接着剤を塗ります。そして、カワセミの羽を丁寧に溝に嵌め込み、吉祥で美しい模様を作り出します。

 清代末期から民国時代にかけて、点翠のアクセサリーは民間人の間でも流行し、女性たちは点翠を持つことを誇りとするようになりました。この頃、外国人の商人が中国で点翠のアクセサリーを大量に買い付け始め、特に国際貿易が盛んな広東地方は点翠の“流通センター”となり、多くの点翠工房が立ち並んでいたのです。現在、点翠のコレクションを最も多く持っているのは中国人ではなく、1933年以前に大量に買い集めた外国人たちです。

点翠のアクセサリー(Nalin Singapuri, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)

 点翠はとても美しいアクセサリーですが、その裏側には、多くの美しいカワセミが乱獲されたという悲しい事実があります。噂によれば、最も高価な点翠アクセサリーには、カンボジア産のカワセミの羽が使われていたため、クメール王朝は羽毛の輸出で築いた莫大な富でアンコール・ワットを建設したと言われています。

 1933年、中国最後の点翠工房が閉鎖され、2000年以上も続いた点翠は歴史の舞台から姿を消し、その技術は焼藍(しょうらん、または七宝)の技法に取って代わられました。これほどまでに美しいアクセサリーを再び目にする機会はほとんどないかもしれませんが、一方で、カワセミが安心して暮らせるようになったことを考えると、これはまた一安心だとも言えるでしょう。かつて世界中を驚嘆させ、魅了した点翠の美しさを、忘れずにいたいばかりなのです。

(文・戴東尼/翻訳・宴楽)