中国人実業家である楊占群さんは、自身の養殖場を中国当局によって強制的に取り壊され、コロナ禍の非人道的な封鎖措置を経験したことをきっかけに、中国共産党の邪悪な本質を見抜き、ドイツへと渡りました。楊さんは現在、中国人が現状に目覚めることを願って、メディアに出演して自らの体験を紹介しています。
楊占群さんがかつて事業展開していた河北省は毛皮産業が非常に盛んで、いくつもの毛皮市場が存在していました。2015年、楊さんは河北省石家荘市の無極県に3,000万円相当の投資を行い、約330坪の養殖場でミンクなどの飼育を行う事業を立ち上げました。
強制撤去と行き場のない訴え
2019年、無極県政府は地元の観光産業を育成する方針を打ち出しました。しかし、政府が事業要地として定めた区画にはすでに多くの事業家がビジネスを展開していたため、彼らに対し期限付きで立ち退きを求めました。しかし、県政府は事業者への補償金を全額払うだけの資金を持ち合わせていなく、省や市の政府からも援助が得られない状況が続きました。そのため、半年経っても誰も立ち退き協議に応じようとしませんでした。
2019年末、突如として多数の武装警察や公安が現れ、強制撤去を開始しました。抵抗した者はその場で逮捕されました。当時撮影された映像には、重機が轟音を響かせながら建物を取り壊す傍ら、若い女性が腕をねじ上げられて警察車両に押し込まれる様子が映っていました。
楊占群さんによれば、当時の強制撤去で被害を受けたのは、農場や養殖場、果樹園、レンガ工場など100件以上に及びます。これらの施設は全て、もともと荒地だった河川敷に建てられていました。事業者は農民から土地を借りて、村政府の開発許可を得て事業を営んでいました。
楊さんは「私たちは皆、15年契約を結んでいた。一度工場を建てたら、3年や5年で引き揚げるなんてできない。特に養殖業はなおさらだ。半生をかけて資金を貯め、事業を起こしたのに、中国共産党はそれを一瞬で奪い去った。本当に受け入れ難い」と語りました。
強制撤去された後、楊さんは陳情を通して自らの合法的な権利を取り戻そうとしましたが、困難を極めました。河北省政府の陳情受付窓口へ行った際に、戻ってきたところを警察に拘束され、二度と北京で陳情を行わないことを誓わされました。
楊さんは派出所で4日間拘束されました。家族が親戚・知人を通じて関係者に接触し、やっとのことで楊さんを救出することができたといいます。
強制撤去された事業主たちはオンライン陳情システムも試しましたが、たらい回しにされました。陳情を受け付けた北京の担当機関は提出資料を河北省政府へ回し、河北省政府はさらに石家荘市政府へ、そして石家荘市政府は無極県政府へと提出資料を送りました。結局、地元政府を訴えるための資料は地元政府の手中に入ってしまい、全く意味を成しませんでした。
ゼロコロナ政策で犠牲者多数
楊占群さんはコロナ禍での惨劇を数多く見聞きしました。武漢で感染が拡大すると、中国各地で都市封鎖が始まりました。病院も隔離体制となり、救急患者への対応が制限されました。
楊占群さんによると、当時、ある男性が突然病気になりましたが、家族は緑色の健康コードを持っていなかったため、自宅から出ることができませんでした。仕方なく封鎖を強行的に突破して男性を病院に運び込みましたが、救急外来では治療の前にPCR検査が必要だと言われ、結果が出るまで10時間かかりました。その間、患者は外で待たされ、結局亡くなってしまいました。また、出産時のトラブルで母体が危険な状態になっても、対応が遅れたため、多くの妊婦さんが亡くなったといいます。
楊さんの知人で、ヨーロッパに住む中国人男性は、父親が亡くなったと聞いて急遽帰国しました。しかし、帰国後すぐに1週間の隔離とPCR検査を受けさせられ、その間に父親の遺体は火葬されてしまったといいます。
2023年1月、厳しい封鎖が一斉に解除されると、中国各地で大規模な感染拡大が起こりました。楊さんは「若者は抵抗力があるからまだしも、70〜80代の高齢者が大量に感染して亡くなった」とし、「全国各地の火葬場は長蛇の列で、私の身の回りでも多くの高齢者が亡くなった」と述べました。
楊さんによると、河北省のある友人は母親が亡くなった際、火葬を早めるために10万元(約215万円)ものお金を積まなければならなかったそうです。楊さんは、「私の自宅周辺でも、以前は木陰でおしゃべりしていたお年寄りたちが、パンデミック後期には姿を消し、皆亡くなっていた」と嘆きました。
楊さんは、中国全土で同じ時期に封鎖を始め、同じ時期に封鎖を解いたため、河北省のような惨劇は各地で見られたのではないかと考えています。楊さんは、「政府は未だ正確な死者数を公表していないが、各地の火葬場が長い列をなし、遺体の火葬を待っていたことは確かな事実だ」と述べました。
中国経済、30年前に逆戻り
楊占群さんは、「現在、中国の国内経済はますます悪化しており、いずれ北朝鮮と同じような状態になるだろう」と指摘しました。
コロナ禍の後、中国政府は内循環、すなわち国内生産と国内消費を強調し、国際社会とのつながりを断ち切る動きを見せました。その結果、対外貿易は大きく落ち込みました。中国の経済成長は外需に大きく依存してきたため、この流れが停滞すれば中国経済は崩壊しかねないとのことです。楊さんは「中国は間もなく30年前、すなわち改革開放以前の状態に逆戻りするだろう」と予測しました。
「現在、中国の失業率は40%以上に達している。大学卒業生は就職できず、家でただゲームをしている状態だ。多くの地域では公務員の給与を支払えず、警察は交通取り締まりの罰金で収入を得ている。都市管理職員は露天商や屋台の商人から商品を没収して給与の足しにしているような状況だ」。
実業家として、楊さんは2020年の時点で、コロナ禍が終わる見込みはなく、封鎖が続けば国内のあらゆる産業が崩壊すると予測していました。楊さんは「1年の封鎖で、私の業界は消滅し、まったく商売にならなくなった。生き延びるには国外へ出るしかない。国内の圧政には本当に耐えられなかった」と語りました。
その後、楊さんは国外渡航の手続きを始めましたが、完了まで2年半かかりました。2023年初め、ゼロコロナ政策が廃止された翌朝、楊さんは北京のビザセンターへ駆け込みました。その時の心情について楊さんは、「一刻でも早く出国したかった」と振り返りました。
中国人よ、目覚めよ
2023年の旧正月、楊占群さんはドイツ・デュッセルドルフにある中国総領事館前での抗議行動に参加しました。楊さんは黄色いクマのプーさんを印刷し、中国総領事館の看板に貼り付けました。そして「私の土地を返せ、私の農場を返せ」「中共を滅ぼせ」といった言葉を書きました。
「これは私自身の体験だ。私は心の底から習近平の退陣と中国共産党の崩壊、そして一党独裁政治の終わりを願っている」と楊さんは語りました。
楊さんは、自身が体験した不当な扱いをメディアで公表することで、いまだ中国共産党の本質を見抜いていない人々を目覚めさせたいと考えています。楊さんは、「より多くの中国人が真実に気づくことこそ、最も重要なことだ」と強調しました。さらに、中国共産党政権が一日も早く崩壊することを願いました。「その日が来たら中国に戻り、親族に会いたい。そして、亡くなった両親に紙銭を焼いて供養したい」と楊さんは語りました。
(翻訳・唐木 衛)