冬至の日の料理である湯豆腐(jeclee, flickr, CC BY-ND 2.0

 中国の戦国時代の頃に発明され、一年を24等分にした暦「二十四節気(にじゅうしせっき)」。その22番目に当たる「冬至(とうじ)」は、北半球の一年間で、日の出から日没までの日中が最も短く、夜が最も長い一日になります。今年2024年の冬至は12月21日(土)です。
 中国では、「冬至の節日(せちにち)」の意味を込めて「冬至」のことを「冬節」と呼ぶ地域があり、さらには「冬至大過年(冬至は春節よりも大事)」と言う人も多くいますので、「冬至」は伝統文化を重んじる中国人に大事にされ続けてきたのです。

二十四節気における「冬至」

 古代中国人は「土圭(とけい)」を用いて地上の日影の方向と長さを測りました。「土圭」の作り方はかなり簡単で、竹や粘土の棒を地面に対して垂直に立てて、そして地面に尺度を書いて完成です。太陽の光が棒を照らし、地面に残す棒の影の長さと方向を尺度と照らし合わせて測り比較し、時間と季節の移り変わりを観測・記録できます。
 その「土圭」を使って、古代中国人は、一年中日影が最も長い日を「日長至」、一年中日影が最も短い日を「日短至」と呼びました。「日長至」は次第に「冬至」に、「日短至」は次第に「夏至(げし)」と呼ばれるようになりました。
 その後、一年中昼と夜が同じ長さの二日をそれぞれ「春分」と「秋分」と呼び、「夏至」と「冬至」と併せて四つの「節気」と呼ぶようになったそうです。周王朝期では、天候と自然現象を加味され、「節気」は八つになり、秦漢王朝期では、天気と自然現象のほか、人間の農業活動と生活方式も加味され、「節気」は二十四になりました。紀元前104年、『太初暦』を編暦した前漢の学者たちは正式的に「二十四節気」を暦法の一部として加えたことにより、「二十四節気」が気象学、天文学において重要視されるようになりました。それもそのはず、季節と天気の変化、生物がその変化に対する反応と活動を表す「二十四節気」は、日常生活と農業活動の是非に大いに参考になるため、現代にも通用しているからです。
 現代の天文学で考えると、「冬至」は一年間で太陽高度(太陽の位置)が最も低くなる日であり、北半球では一年間で日出から日没までの日中が最も短くなります。一方、「夏至」は一年間で太陽高度が最も高くなる日であり、北半球では一年間で日の出から日の入りまでの日中が最も長くなります。それらの間の「春分」と「秋分」は、太陽高度がほぼ同じで、日中と夜中もほぼ同じ長さになります。

「冬至一陽生」~中国の「冬至」

 「冬至」は「二十四節気」の中でもとりわけ重要視されている節気です。古代中国人によると、冬至の日が過ぎれば、日中が次第に長くなり、夜中が短くなるため、「冬至一陽生」となります。つまり、太陽が生まれ変わり、陽気が増え始めるという説があります。これは一年の切り替わりでもあるとされていたので、この日は吉日として祝われてきました。
 そのためか、周王朝期において、冬至の日では国家レベルの祭典を催し、神を敬い天を祀り、神様からのご加護を祈るほか、来る一年の太平の世を祈祷しました。
 漢王朝期になると、上記の催しのほか、文武百官や外戚の士臣は朝廷に入り皇帝への謁見が恒例でした。民間においても、冬至は「冬節」と呼ばれる祝日となり、神を敬い天を祀るほか、祖先を祭り、老人を敬い、師長に挨拶をする慣習がありました。
 そして清王朝期になると、宮廷における冬至の祭典がさらに多くなり、欠けてはいけない国家行事となりました。「冬至大如年」や「肥冬瘦年(新年で我慢しても冬至は贅沢に過ごしたい)」という言葉があるように、古代中国人は非常に冬至の日を重要視していました。この日には、家族全員が家に帰り老人に挨拶をし、天を敬い祖先を祭り、神様と先祖様からのご加護を祈りながら、来る一年の家宅平安を願いました。その後の一家の晩餐会をもって、家族団らんを楽しみ、一族の存続と絆も強まる一日でもありました。

 現代において、「冬至」の日を節気の一つとしてこそ認識していますが、この日を大事な祝日として祝う中国人はだんだんと少なくなっており、その起源と理由さえ忘れてしまったかもしれません。幸い、伝統を大事にしている長者たちは、家族を集めて伝統料理を楽しむ習慣がまだ広く残されているそうです。例えば、豪華な料理のほか、北の方は「十月一、冬至到、家家戸戸吃水餃(旧暦十一月の冬至はみんなで水餃子を食べる)」という言葉があるように水餃子やワンタン、肉まんなどを食べたり、南の方は「冬至団」という「湯円(もち米や白玉粉などで作られた団子)」や「糯米糍(ノーミーチ)」「長寿麺」などを食べたりして、家族団らんを楽しむ風習があります。
 伝統を大事にしている長者たちは、冬至の日に「乾冬湿年」と主張します。これは「冬至の日に雨が降らなければ、旧暦新年が必ず雨が降る」という諺だそうです。また「冬至不凍過年凍」という主張は「冬至の日が寒くないならば、旧暦新年は必ず凍えるほど寒くなる」の意味です。一見何の根拠もない諺のようですが、実はすべて本当のことでしたので、これは中国人が受け継がれてきた「集合知」の一つだと気づき始めるのです。

「一陽来復」~日本の冬至

 日本の冬至といえばカボチャです。カボチャは7月から8月に収穫の最盛期を迎える夏野菜ですが、冷凍技術がなかった時代、カボチャは常温でも比較的長い期間保存が可能な食材だったので、冬にも食べることができました。この習慣が、冬至にカボチャを食べることに結びついたとも考えられています。
 冬至の日に食べる粥「冬至粥」も日本特有の風習で、一般的に小豆粥のことを指します。お祝いの日に赤飯を炊くように、小豆や小豆の赤い色は、厄を払い運気を呼び込む縁起物とされてきました。この冬至粥は、地域によっては小豆ではなく、カボチャで粥を作るところもあるそうです。また、寒さでエネルギーを奪われて体力が落ちてしまいがちなこの時期において、小豆やカボチャなど栄養豊富なエネルギー源は重宝されたとも考えられます。
 冬至の日には、冬至の「と」に因んで、豆腐(季節柄、湯豆腐が多い)、唐辛子、ドジョウ、いとこ煮など、「と」の付く食べ物を食べる風習があります。冬至の前にはスーパーや魚屋でドジョウの売り出しの風景が見られます。一方、ニンジンやキンカン、寒天、うどんなどの「ん」のつく食べ物を食べると運が向上するという、ユニークな言い伝えがあります。なぜ「ん」のつく食材が運気を向上させるのかについては諸説があり、「うん」を呼び込むといった説や、いろは歌の最後が「ん」なので開運を願うなどといった説があります。
 冬至の日には、ゆずを浮かべた「ゆず湯」に入る風習もあります。ゆず湯の明確な起源は定かではありませんが、江戸時代の銭湯で「催し湯」のひとつとして、冬至の日に柚子を入れたのが始まりだと言われています。「冬至の日に柚子湯に入ると風邪をひかない」の言い伝えがありますが、健康と来福を願う縁起物として、鮮烈な香りとともに熱いお湯に浸かるのは、冬ならではの楽しみでもありますね。
 日本において、「冬至一陽生」は「一陽来復(いちようらいふく)」として伝わりました。冬至の日は、昼が短いので暗くて陰気になりますので、陰がきわまる日でもあり、その日を境に陽気が発生し、太陽の力が甦ってくる日です。これが転じて、運が最悪になった時、ここでピンチはチャンスと巻き返すことを「一陽来復」とも言います。

 太陽の照る時間が最も短くなる冬至。冬至の後に小寒、大寒があって冬本番の寒さが訪れ、ようやく春の訪れを実感できるのは「立春」のころでしょう。陰から陽に流れが切り替わった時点では、その変化は実感できないかもしれませんが、冬至は間違いなく、寒さが続いた後の春の到来の兆しなのです。悪い事が続いた後ようやく好運に向かうことに着目し、冬季の病気などにも十分注意をしながら、伝統行事と季節の恵みを楽しみ、厳しい冬を乗り越えていきましょう!

(翻訳編集・常夏)