中国経済が衰退し、人々の生活は困窮を極めています。多くの人が仕事を見つけられず、路上生活を余儀なくされています。 その為、寒さや飢えで命を落とすという悲しいニュースが絶えません。にもかかわらず、各地の当局は街路樹に豪華な「セーター」を着せ、「繁栄の時代」を演出しようとしています。この現象に対して、ネットユーザーたちは「無駄遣い」「冷酷だ」と強く批判しています。

 今年10月以降、中国本土の多くの都市で、街路樹にカラフルで精巧なデザインの「セーター」を着せた動画や写真が次々と投稿されています。これらの「セーター」は特別にデザインされています。鮮やかな色彩に加え、複雑な模様や装飾が施され、一部はキャラクターの形に作られています。

 ネット上の統計によれば、街路樹に「セーター」を着せた都市は北京、長春、東営、浜州、臨沂、青島、重慶、上海、棗荘、フフホト、合肥、武漢など多岐にわたり、中国全土に広がっています。

 北京の公式メディアは報道で、これらの「セーター」の製作費が非常に高額であると伝えています。一部の街路では「1本の木にセーターを編むのに1週間かかり、5本の木には約100キロの毛糸が必要だ」とされています。

 同メディアはさらに、「北京の街路樹のセーターは近隣の商店が自主的に制作したものだ」と主張しています。しかし、多くのネットユーザーは、当局の宣伝規模を考えると、これは当局のプロパガンダ部門が関与しているのではないかと疑問を呈しています。

 ネット上では、「無意味な浪費だ」と当局を非難する声が相次いでいます。また、中国の多くの貧困層が衣服も十分に得られず、飢えをしのぐのが精一杯である現状を指摘し、「中国人の生活が木以下だ」と嘆く人もいます。

 ネット上に流れる大量の動画によれば、広東省の広州、深圳、東莞、浙江省の金華、江蘇省の昆山など、かつて製造業が集積していた地域で、多くの労働者が仕事を見つけられず、路上生活を余儀なくされています。中には飢えで亡くなる人もいます。しかし、当局はこうした情報を徹底的に封じ込めようとしています。

 冬が近づく今、北京や上海では多くの人が路上で暮らしている様子が動画で拡散されています。駅で一時しのぎをする人や、公園で夜を明かす人もいます。最近では、河南省駐馬店でホームレスの男性が冬服を買うお金がなく、全身をビニール袋で包んで寒さをしのいでいる姿が撮影されました。

 多くのネットユーザーが、この動画と街路樹に「セーター」を着せる光景を比較し、感慨深い思いを抱いています。一部のネットユーザーは「木には惜しみなく与えるが、人間には与えない」と批判しました。

 歴史を振り返ると、このように木に衣服を着せる現象は中国で初めてではありません。『資治通鑑』によれば、隋の煬帝が大業6年(西暦610年)に洛陽で外国の賓客を招いて宴を開いた際、街路樹に大量の絹を巻きつけ、「天朝の富裕さ」を誇示しました。しかし、当時の外国商人の中には、街を歩く中で貧しい人々が衣服もまとえない姿を目の当たりにし、「豊かな絹を木に使うくらいなら、なぜ貧しい人々の衣服を作るために使わないのか」と指摘する者もいました。この問いかけに対し、隋の商人たちは答えに窮し、恥じ入るばかりでした。

 煬帝時代の「絹で木を飾る」行為が、千年後の今、再び繰り返されています。現在の中国では経済が低迷し、失業者が増加しています。  給与が削減され、多くの人々が生活の重圧に苦しんでいます。一部の人は追い詰められ、自ら命を絶つという悲劇的な選択をしています。このような状況下での「街路樹にセーターを着せる」行為は、際立った違和感を与え、多くの人々に不満を抱かせています。

 12月8日、河南省駐馬店で全身をビニール袋で包んで寒さをしのぐ男性の姿が話題となり、それと比較して「人間が木以下の扱いを受けている」と多くの人が憤りを露わにしました。また、「このお金を人のために使えないのか」「セーターさえ買えない人がいるのに、木にセーターを着せるとは」といったコメントが相次ぎました。

 こうした無駄遣いの背景には、政権の現実を隠蔽し、見せかけの繁栄を演出する意図があると考えられます。しかし、木に豪華な「セーター」を着せるのではなく、困窮している人々に目を向け、彼らを支援する方がはるかに重要なのではないでしょうか。多くの人々の怒りや嘆きは、単なる氷山の一角にすぎません。この問題の本質に真剣に向き合う必要があります。