12月10日の世界人権デーに合わせて、都内の文京シビックセンターで法輪功迫害に関する証言集会が開催されました。中国で四半世紀以上続く法輪功迫害の実態について、日本および海外在住の法輪功学習者が実体験について証言しました。

 法輪功は「真・善・忍」を重んじる中国の伝統的な気功修煉法であり、1992年に李洪志氏によって伝え出されました。健康促進や道徳向上の効果により広く受け入れられ、口コミで広がりました。国内外の統計によると、中国にはおよそ1億人の愛好者がいたとされています。

 しかし、1999年に中国共産党は弾圧を開始しました。中国本土では法輪功学習者に対する令状なしの拘束や拷問、証拠不十分な裁判、さらには臓器の強制摘出が未だ行われています。国外では、中国共産党はプロパガンダメディアや外交ルートを通じた誹謗中傷、さらにはスパイによる違法な情報収集や妨害工作などを行っています。

 日本企業で働く張一文(ちょう いちぶん)さんの母親は、今年4月11日に中国共産党によって不当に拘束されました。証言台に立った張さんは、幼い頃から母親が頻繁に拘束され、中国共産党によって家族が大きな苦痛を被ったと語りました。

 「私の母、王乖彦(おう・かいげん)は法輪功を修煉しており、1999 年から現在までの 25年間にわたって何度も不当に拘束されてきた。そのため、7歳以降、私が母と共に過ごした時間は5年にも満たず、友人には冗談交じりに『母親はいるけれど、片親で育ったようなものだ』と話したこともある」

 中国共産党の迫害により、職業訓練校の優秀な教師だった母親は図書館で働くことを余儀なくされ、月給は5分の1に減少しました。また、幼い頃から知り合いだった子供の中には、迫害で親を失った人も複数人いるとのことです。

 張さんによると、母親は修煉する前、些細なことにもこだわる人でした。法輪功を修煉してからは、他人のことを優先して考えるようになり、寛容さや道徳を重んじるようになりました。また、長年患っていた心臓病も回復したといいます。

 上海市出身の周斌(しゅう・ひん)さんは、1995年3月に法輪功の修煉を始めました。1999年から中国共産党による誹謗中傷と弾圧が開始すると、周さんは人々に刷り込まれた誤解を解き、法輪功迫害の実態を伝えるための活動を始めました。周さんは他の法輪功学習者と協力してビラや資料を作成し、人々に配布しました。

 平和的な活動を行っていた周さんですが、中国共産党によって濡れ衣を着せられ、無実の罪で懲役12年の実刑判決を受けました。その間、中国共産党は周さんに法輪功への信仰心を放棄させるために、様々な拷問を行いました。周さんは少なくとも100回は殴打され、腰の骨が折れ、左右の肋骨も折れました。左側の睾丸は破裂し、歯は落ち、右手親指の腱は断裂しました。

 12年の刑期を終えた後も、中国共産党の迫害は続きました。警察官は周さんの家に行き、嫌がらせや脅迫をし続けました。私服警官は周さんを尾行し、写真を撮影しました。3歳の娘は幼稚園に受け入れてもらえず、地方政府に訴えても効果はありませんでした。

 周さんは証言の最後に、「人権を尊重し、自由がある日本で生活できることに非常に感謝している」と述べました。

 張樹莉(ちょう・じゅり)さんは、山東省濰坊(いほう)市出身です。法輪功を修煉する前は、毎日首が回らないほど疲れ、夜起きると足が痛く、膝下が青くなることもありましたが、今ではすっかり健康になりました。

 しかし1999年から迫害が始まると、張樹莉さんは4回拘束され、そのたびに金銭を要求されました。もしお金を用意できなければ、警察に殴り殺されるかもしれないとのことです。そこで、張さんは看守が気を緩めている隙に2階の窓から飛び降りて逃走しました。その後、日本に住んでいた姉の助けで来日しました。張さんは、日本政府が在留資格を与えてくれたことに感謝し、「日本政府と日本国民に深く感謝します」と述べました。

 臓器狩りの生還者である程佩明(てい・はいめい)さんはオンライン参加し、証言しました。程さんは黒竜江省鶏西市出身で、1998年3月に法輪功の修煉を始めました。1999年7月に法輪功弾圧が始まると、5回にわたって不当に拘束され、2001年12月には8年の実刑判決を受けました。刑務所では常に拷問を受けていたと証言しました。

 2004年11月16日、大慶刑務所は程さんに対する拷問を強化しました。午後8時頃、程さんは強制的に大慶第四医院に運ばれ、不可解な手術を受けました。23日には再び大慶刑務所に戻されました。その後、囚人たちは程さんが臓器摘出手術を強制的にされたのだと知ることとなりました。

 2006年3月3日午前2時頃、程さんは病院の防火通路を通って脱出しました。その後、中国共産党は2006年から2016年の間に計10回、程さんを指名手配しています。

 地元から逃れて3年後、程さんは黒竜江省大慶市の友人と再会しました。その友人は大慶市公安局の警察官から、「上層部の秘密命令で、程佩明を発見次第射殺し、死亡が確認されれば報奨金が出る」と聞いたと伝えました。

 2015年、程さんはタイへ逃れ、アメリカ政府の救助を受けて2020年に無事アメリカに渡りました。アメリカに渡った後、程さんはCTスキャン3回、超音波検査3回、MRI検査1回、X線検査2回を受けました。その結果、医師は彼の肝臓の左側と左肺下葉の半分が切除されていると診断しました。

 オンライン参加した程さんは、上半身に残っている手術痕の写真を投影しました。傷跡は背中の中央から胸まで伸び、長さは35.5cmもありました。

 日本維新の会の中津川博郷元衆議院議員も集会に参加し、迫害を受けた法輪功学習者から中国の刑務所に関する詳細な情報を聞きました。

(黎宜明)