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 クロアチアにフラン・セラク(Frano Selak)という男性がいました。彼の一生はまさに波乱万丈で、命が危ういほど重大な事故に7回も巻き込まれましたが、生死の瀬戸際で奇跡的に助かりました。そして、彼は人生の後半で宝くじに当たり、高額な当せん金をもらいました。「大きい災いを逃れた者には、必ず後に幸福がやってくる」という言葉の真実性を見事に証明し、「世界一幸運な人で世界一不運な人」とも呼ばれています。

 フランさんは1929年6月14日に生まれ、幼少期と青年期は平穏に過ごしていましたが、30代前半から次々と致命的な事故に遭い続けました。
 最初の事故は1962年の初めのことです。ある雨が降る寒い冬の日に、フランさんが乗っていた列車が峡谷の崖を通る時に脱線してしまい、車両が崖下の凍った川に転落しました。この事故で乗客17名が亡くなりましたが、フランさんは腕の骨折で済み、何とか低体温症の危険を乗り超えて自力で岸まで泳ぎ、生還しました。
 翌1963年、フランさんは人生で最初で最後の飛行機に乗ったときに、再び事故に遭いました。飛行中にキャビンのドアが故障し、いきなり開いてしまったのです。フランさんは生身のまま飛行機の外に吹き飛ばされました。この事故で乗客19名が死亡しましたが、フランさんはなんと運良く干し草の山の上に落下して一命を取り止めました。どうした事かわかりませんが、この事故は、航空事故として報道されなかったようでした。
 2年連続で致命的な事故に遭った後、フランさんは落ち着いた3年間を過ごしました。しかし、1966年のある日、フランさんが乗っていたバスは、路面凍結した橋を通過中に橋から川に転落してしまいました。乗客4人が命を落としましたが、フランさんは自力でバスから脱出し、泳いで岸までたどり着くことができ、体にかすり傷を負っただけで命は助かりました。
 1970年、フランさんが車の運転中に、車が突然炎上しました。爆発寸前にフランさんは車から脱出することができました。
 それから3年後の1973年、フランさんはまた交通事故に遭いました。今度は運転していた車のエンジンのガソリンポンプが故障して、通風孔から炎が飛び出しました。幸いにも、フランさんは髪が焼けただけで、命に別状はありませんでした。
 あれから22年。クロアチアの首都に来ていたフランさんは、街を歩いていた時にバスにはねられました。幸いなことに、軽い怪我程度で済んで、大事に至りませんでした。
 翌1996年、フランさんは山道で車を運転していた時、急カーブにさしかかった時、対向車のトラックと衝突しそうになったため、それを避けるために、急ハンドルを切りました。その結果ガードレールに突っ込み、山から転落してしまいました。車が90メートルの谷底に向かって落ちている途中、車のドアが突然開いて、シートベルトをしていなかったフランさんは車から投げ出され、なんと運よく崖に生えていた木に引っかかって助かったのです。車は谷底に落下して粉々になりました。もし当時シートベルトをしていたら、彼は車と一緒に谷底に落ちて死んだのかもしれません。(とはいえ、皆さんの日頃の運転中では必ずシートベルトを締めてください!)

 こうして、フランさんは三十何年間に7回も死神とすれ違ったのです。1996年を境に、以後フランさんは致命的な事故に遭うことはありませんでした。しかし、彼の物語にはまだ続きがあります。
 2003年の73歳の誕生日の後、フランさんは宝くじを買ったところ、なんと大当たりで、80万ユーロ(約1億円、2003年レート)の当せん金をもらいました。フランさんは当せん金で不動産と船を購入しました。その後、フランさんは残ったお金を贅沢に使わず、2010年にその大半を家族や友人に譲り、人生最後の数年間は質素な生活を送りました。2016年11月30日、フランさんは87歳で亡くなりました。

 波乱万丈な人生を送ったフランさん。7回も死にかけましたが、これを悉く生き残り、しまいには一夜に大金を手に入れて、まさに世界一幸運な人で、同時に世界一不運な人でした。「大きい災いを逃れた者には、必ず後に幸福がやってくる」という言葉は、どうやら本当だったのですね。

(翻訳・心静)