「藪蛇(やぶへび)」という言葉をお聞きになったことがあるでしょう。中国にも似たような四字熟語「打草驚蛇(だそうきょうだ)」があります。この二つの言葉は一見似ているように見えますが、実際には微妙な違いがあります。この文章では、蛇にまつわるこの二つの熟語をご紹介します。
『孫子兵法』にて
兵法に詳しい方がご存知のように、「打草驚蛇(だそうきょうだ)」は中国の著名な兵法書である『孫子(そんし)』の三十六計の第十三計にあたる戦術です。字面の意味は「草を打って蛇を驚かせる」で、つまり、草むらの中では不意に棒で草を払ったりすると蛇を驚かせる、つまり何が出てくるかわからないということを指します。
これが転じて、三十六計では戦地の状況がよく分からない場合には偵察を出して反応を探るという意味で用いられています。『孫子』では、疑いのある場合は慎重に偵察し、状況を完全に把握してから行動すべきだと解釈しています。念入りの偵察を繰り返すことが、隠れている敵を発見するために大切です。①
進軍する途中で、険しい地形、窪地、葦(あし)の密林、草むらが生い茂る場所には決して油断してはいけません。少しでも油断すると、それこそ「打草驚蛇」になって、待ち伏せの敵に襲われる可能性があります。しかし、戦場の状況は複雑で変化に富んでおり、時には味方が伏兵を置いて、わざと「打草驚蛇」をすることで、敵を罠にかける例も多くあります。
「打草驚蛇」の失敗例
「打草驚蛇」によって蛇を驚かせ、災いを招いてしまった例を見てみましょう。
紀元前627年、秦の穆公(ぼくこう)は出兵して鄭を討ち、鄭に潜入させた間者と内外で呼応して鄭の都を奪取しようと計画していました。大夫の蹇叔(けんしゅく)は、秦は鄭から遠く離れており、大軍を率いて遠征すると、鄭はきっとそれに気づいて応戦の準備を整えるだろうと、出兵を止めようしました。しかし、穆公は蹇叔の意見を聞き入れず、孟明視ら三人の将軍に軍を率い出征させました。
部隊が出発する際に、蹇叔は涙ながら、「おそらく今回は鄭を討伐するものの、晋の待ち伏せに遭うでしょう。私は崤山(こうざん)に兵士たちの遺体を収めに行くしかないでしょう」と言いました。
果たして、蹇叔の予想通り、鄭は秦の攻撃する情報を得て、忍び込んだ秦の間者を追い出して、迎え撃つ準備を整えました。秦軍は鄭を討つ計画がうまくいかなかったため、やむなく軍隊を引き返しましたが、兵士らが遠征で疲れ果てていました。
崤山は晋の領地に位置する要衝(ようしょう)です。秦軍が崤山を通過する時に、先ごろ亡くなった晋の文公が秦の援助を得て晋公になった、いわば秦から恩を受けたため、晋は秦軍を攻撃することがないだろうと思っていたので、防備を全くしませんでした。しかし、まさか晋が早くも崤山の険峰峡谷に大軍を待ち伏せていたとは思わなかったのです。
ある暑い日の昼頃、秦軍が晋軍の小規模の部隊を発見しました。秦の将軍の孟明視は苛立って、追撃を命じました。山の狭い要所まで追いついたら、晋軍の小部隊は突然姿を消しました。孟明視は、ここの地形が険しく、道も狭く、草むらが繁茂したのを見ると、何か不吉なことが起きると感じました。その時、太鼓の音がとどろき始め、殺気に満ちた雄叫びが飛び交い、晋軍の伏兵が一斉に襲いかかってきて秦軍を破り、孟明視ら三人の将軍を生け捕りにしました。②この戦いは歴史上では「殽山の戦い」と呼ばれています。
「打草驚蛇」の成功例
先ほどの例では、秦軍は敵情をよく調べずに軽率に行動をとり、「草を打って蛇を驚かせ」てしまい、ついに惨敗を喫しました。しかし、時には、わざと「打草驚蛇」することで、敵をおびき寄せて暴露させることで、戦いに勝利したこともあります。次は「打草驚蛇」の成功例を見てみましょう。
紀元215年、曹操は漢中を占拠していた張魯を侵攻し、まもなく張魯が降伏したため、漢中は曹操の支配下に入りました。3年後の紀元218年、劉備は10万の兵を率いて漢中を包囲しました。驚いた曹操は自ら40万の兵を率いて出征し、蜀と魏の間で漢中争奪戦が始まりました。蜀軍は曹軍の大きい勢力を見て、漢水の西側に退き、両軍は水を隔てて対峙しました。
諸葛亮は、漢水の上流の大きな山脈に気づき、すぐに趙雲に五百の兵を率いらせて、太鼓や角笛を携えて山脈の麓に伏せさせました。夕暮れあるいは夜中に、本陣から砲声(ほうせい)が一回聞こえたら、しばらく太鼓を打ち鳴らし、角笛を吹き、叫び声を上げるだけで出撃しないよう指示しました。諸葛亮は高い山の上にかくれて敵情を観察していました。
次の日に、曹軍は陣前に出て挑んでも、蜀軍は出撃をしなく、矢も放たなかったので、曹軍は仕方なく、ひとしきり叫んだだけで軍営に引き返しました。
深夜になると、曹軍の兵士たらがようやく休んだところで、趙雲の五百の兵士が一斉に太鼓と角笛を鳴らし、叫び声がどよめきました。すると、曹軍は蜀軍が軍営を奇襲してきたのではないかと、急いで鎧(よろい)をつけて軍営の前に出ました。しかし、出てみると蜀軍がいなくて、何も起こっていませんでした。そこで軍営に戻って休もうとしましたが、再び砲声と鼓角が鳴り響き、叫び声が上がりました。一晩に何度も同じようなことが起こり、曹軍の兵士たらが一睡もできませんでした。こうして三晩も同じように続けると、曹操は不安で寝ても覚めても落ち着かず、やむをえず部隊を30里(約15km)退かせた場所に陣を移しました。
諸葛亮は、「打草驚蛇」の策略で曹操を退けた後、勢いに乗って軍を進め漢水を渡りました。さらに、背水の陣を敷いて、わざと蜀軍を危険な地に置きました。曹操は諸葛亮がどんな策を取ろうとしているかを読み取れなかったのです。というのも、曹操は「諸葛亮が生涯常に慎重」であることをよく知っていて、諸葛亮が勝算がなければこのような危険な手を打たないだろうと考えていたからです。諸葛亮もまさに曹操のこの心理を的確に見抜いて、あえて危険な策略で曹操を揺さぶりました。
曹操は蜀軍の実情を探るため、劉備に挑戦状を送りました。次の日、戦いが始まると、蜀軍はすぐに敗走する素振りをして、漢水のほとりへ退いていき、兵器や馬を道端に捨てました。このような戦術に詳しい曹操は、すぐに鑼を鳴らして撤退を命じました。ところが、曹軍が撤退を始めた途端に、諸葛亮が旗を掲げて、蜀軍を引っ返して曹軍に突撃させました。曹軍が大混乱となり、大きな損失を被りました。これにより、蜀軍は巧妙に曹軍を打ち破りました。
曹操と劉備とは、数か月対峙していましたが、曹軍の死傷は甚だしいものでした。そして、紀元219年5月、曹操は軍を退けて長安に戻り、劉備は漢中を占領しました。③
この二つの例でわかるように、「打草驚蛇」の策略には二つの意味があります。一つは、隠れている敵に対して、こちらの意図を察知されないように、軽率な行動を取らない計略です。もう一つは、佯攻(ようこう)や援護(えんご)などの戦略で「草を打つ」ことで、「蛇」である敵を誘い出し、罠にかけて殲滅する策です。
「打草驚蛇」の面白い物語
軍事的な事例以外にも、「草を打って蛇を驚かせる」には面白いエピソードがあります。
南唐(なんとう)の時代、当塗県(とうとけん、現在の安徽省馬鞍山市轄)の県令は王魯という人でした。この県令は任期中に、金銭や利益があれば、是非曲直(ぜひきょくちょく)を無視し、真実をねじ曲げ、収賄など多くの不正行為をしました。王魯の部下の官吏たちは、上司の汚職を見て、公然と悪事をするようになりました。このような大小の汚職官吏がなんと当塗県の官吏全員の8、9割も占めていました。当塗県の住民は非常に苦しく、心から汚職官吏たちを憎みきっていました。いつか彼らを厳しく処罰し、恨みを晴らす機会を心待ちにしていました。
ある時、朝廷が地方官員を巡察するために役人を派遣しました。当塗県の住民はチャンスが訪れたと見て、連名で訴状を書いて、県の主簿(しゅぼ)などの官吏たちの詐欺や収賄など種々の不法行為を告発しました。
訴状は、まず県令の王魯に届けられました。王魯は訴状を最初から最後までざっと読んだら、心臓が飛び出る程驚いて、全身が震えて、冷や汗をかきました。
なぜなら、訴状に挙げられた不法行為は、すべて王魯が以前犯した悪事と共通していて、さらにその中には王魯と関わったことも多くあったからです。訴状は主簿ら数人を告発するものでしたが、王魯はまるで自分が告発されたように感じました。もし告発が続けれられたら、間もなく自分も告発されることになるでしょう。そうすると、朝廷に自分が行った悪事の実情を知られ、自分が重い懲罰を受けるのではないかと、恐れおののきました。
王魯はあれこれ考えたら、恐怖のあまり心が全く落ち着かず、震える手で筆を取り、目の前の訴状にその時の本心、「汝雖打草,吾已驚蛇」を書きつけました。「あなたたちは私の部下を告発したが、すでに私を怯えさせた」という意味でした。
書き終えると、彼は手の力が抜けて、身体が崩れ落ちたように椅子に座り込んで、筆も地面に落ちてしまいました。④
悪事を働いた人は「すねに傷もつ」というように、常に心が不安です。実際の懲罰がまだ訪れていなくても、ちょっとした音や動きにさえ、彼らは恐れおののいてしまいます。「打草驚蛇」という四字熟語には、こうした意味も含まれているのです。
日本語における「打草驚蛇」
日本語における慣用句「藪蛇(やぶへび)」の由来・語源はこの「打草驚蛇」だといわれ、「藪をつついて蛇を出す」を省略した表現でもあります。現在では「藪蛇」か「藪蛇になる」の形で使われるケースが多いそうです。わざわざ藪をつついたことによって蛇を出して噛まれてしまうという愚かな行動を表現しており、必要ないことをして面倒を引き起こしてしまうことを指す表現として使われるようになりました。
このイメージから、「藪蛇」は突拍子もないような出来事によって悪い結果を招いてしまうという意味で使われています。また、周りから見たら「やめておけばいいのに、やっぱり悪い結果になった」と感じるようなことでも使えます。
類義語として、石川県民話の「あずきまんま」が由来だといわれている「雉も鳴かずば撃たれまい」があり、余計なことを言ったせいで災いを引き起こしてしまう意味があります。また、起きていると泣いてばかりいて育児が大変なのに、せっかく寝た子どもを起こしてしまったという表現「寝た子を起こす」があります。静かに収まったのにあえて手出しをして、トラブルを引き起こすことをたとえた言葉です。
いかがでしょうか?「打草驚蛇」と「藪蛇」の二つの言葉についてご紹介しました。来たる蛇年(2025年)に向けて、蛇に関する豆知識を知ることもいいかもしれませんね!
註
①中国語原文:疑以叩實,察而後動;復者,陰以媒也。(『三十六計』より)
②『春秋左伝・僖公』より
③『三国志』より
④王魯爲當塗宰,頗以資產爲務。會部民連狀訴主簿貪賄於縣尹,魯乃判曰:「汝雖打草,吾已蛇驚。」爲好事者口實焉。(鄭文寶『南唐近事』より)
(翻訳・心静)