東莞市(とうかんし)は広東省で重要な役割を果たしてきた都市で、広東省のみならず中国全体の経済においても重要な位置を占めています。しかし、中国の経済が低迷するなか、東莞市内では激しい競争が生じ、技術者からは「稼ぐのが非常に難しい!」という声が上がっています。かつて工場が立ち並んでいた長安鎮(ちょうあんちん)では、現在、空き店舗が目立ち、至る所に「貸し店舗」の張り紙が掲げられています。高埗鎮(こうぶちん)の工業園区周辺でも、人影がほとんど見られなくなっています。

技術者「競争が激しすぎ、東莞ではやっていけない」

 東莞市はグローバルで有名な製造業の中心地として知られ、とりわけ電子製品、履物、家具産業で名を馳せてきました。これまで、「世界の工場」と呼ばれ、多くの外資や中国国内の投資を引き寄せたこの都市は、今はどうなっているのでしょうか?

 重慶市出身のブロガー「小新(シャオシン)」は10月23日、自身と妻が東莞市へ出稼ぎに行ったのですが、一週間もたたないうちに、もうやっていけないと実感し、すぐに荷物をまとめて重慶市に戻ったと投稿しました。彼は「今回、東莞市に訪れて最も感じたのは、稼ぐのがあまりにも難しいということだ。東莞市を一巡りして、ここで仕事のチャンスを見つけるのが本当に難しく、競争が激しすぎる」と述べました。

 彼はまた、「技術職だけでなく、多くの加工業の人々も利益が出せず、他の業種でも競争が激しい状況だ。今朝(10月23日)朝食を食べに出かけた際、道端の理髪店がカット代をわずか10元(約210円)で提供しているのを見かけた。店主は家賃や人件費を支払わなければならないのに、どうやって利益を出しているのだろう」と述べました。

東莞市長安鎮の商業衰退、活気ある町が寂れた姿に

  東莞市のブロガー「君宝(ジュンバオ)」は、東莞市で最も重要な町である長安鎮を訪れ、現地で動画を撮影し、今の東莞市の衰退を伝えています。

 彼は、長安鎮の店舗はかつて非常に活気があり、店舗を手に入れるのが非常に難しいほどだったと語っています。周辺には工場が立ち並び、少なくとも数百の工場があり、近くには賃貸住宅も多くありました。長安鎮のGDPはかつて東莞市でトップを誇っており、地理的にも比較的恵まれた場所にありました。

 彼は、長安鎮の現況を次のように語りました。「今、現地(長安鎮)を訪れると、店舗が列ごとに閉店しており、衣料品店はほぼ全滅状態だ。かつて町には大きなステージがあり、夜になると非常ににぎやかで、広場で踊る人もいたものだ。今ではその場所もすっかり荒れ果て、駐車場になってしまった。今、商売をするのは本当に難しい」

 「かつてミルクティーの店が立ち並ぶ長安鎮は、週末になると大勢の人が訪れ、賑わっていた。ここ2年間で、閉店が相次ぎ、店舗はシャッターを下ろしたままの状況が続き、商店街はすっかり寂れてしまった。東莞市は哀れとしか言いようがない」

 彼によると、今営業を続けている店舗はわずかで、日々の収入で家賃、水道代、電気代すらまかなえない店が多く、毎日赤字を抱えていると言います。

東莞市のファストフード店も苦境に立たされている

 多くの工場が閉鎖され、労働者が東莞市を去ったことで、飲食業も大きな打撃を受けており、多くの飲食店が閉店を余儀なくされている状況です。

 「苗苗媽(ミャオミャオマ)」というネットユーザーは、ネット上に投稿した動画の中で、親戚が200万元(約4300万円)以上を投資して常平鎮(じょうへいちん)の工業区に食堂を開いたものの、経営が厳しく、他に選択肢がないため、どうにか維持していると語りました。

 同ネットユーザーは動画の中で、親戚の現況を次のように述べました。「先週末、義弟(夫の弟)のところ(食堂)に食事をしに行ったが、工業区の入居率が低いため、食堂の経営も不振で、彼らは今も苦労して持ちこたえている。食堂の1階はスーパーマーケットで、2階が食堂になっているが、広い1階のスペースもどう活用すればよいのか分からない状態だ。200万元以上も投資していたが、オープンしてまだ2年しか経っていない」

 東莞市でアルバイトしているブロガー「三炮生活録(さんほうせいかつろく)」は最近、東莞市のファストフード店が次々と閉店に追い込まれていると述べました。「私たち労働者がファストフード店を利用しなくなったため、多くの店が経営を続けられず閉店してしまった。中にはオープンからわずか3、4カ月で閉店に至る店もある。現在、ファストフード店にはほとんど人が訪れず、次々と経営が立ち行かなくなっている」と話します。

東莞市の工業団地に人影がない

 東莞市のブロガー「老陳(ロウチン)」は、昨年、東莞市高埗鎮の工場で短期間バイトとして働いていたが、今年はこの工場の労働者が大幅に減り、ほとんど人影が見当たらず、工業園区の外もまったく人が見えなくなったと述べました。

 彼は高埗鎮の現況を次のように語っています。「昨年、高埗鎮の工業園区には通勤する人が多く、夜食の時間も賑わっていた。工業園区の外にも露店が密集していた。しかし、今では、露店も2~3人が出している程度で、商売にならない。どこもかしこも閑散としていて、工業園区外の通りも真っ暗で、どこにも人影がない」

東莞市の代表的な企業、裕元靴工場の衰退

 東莞市はグローバルに有名な「世界の工場」として、多くの巨大企業が存在していました。これらの企業の従業員は数万人から十数万人に上り、裕元(ユーユアン)靴工場(以下、裕元靴)がそのような大企業の一つです。裕元靴は、運動靴受託生産の世界最大手、台湾・宝成国際集団(PCG)傘下の子会社で、高級ブランドのスポーツシューズを主に生産しています。具体的には、ナイキ、アディダス、アシックス、リーボック、プーマなどのブランドが含まれます。

 裕元靴は東莞市に2つの工業園区を持っており、1つは高埗鎮、もう1つは黄江鎮に位置しています。いずれも十数万の従業員が在籍しており、2つの工業園区の従業員総数は30万人を超えていました。

 裕元靴は当時、従業員が多かったため、毎日昼食時には食堂にグループに分かれて行かなければならず、退勤時には従業員が出口を出るのに10分以上かかることもありました。

 裕元靴は従業員の働く意欲を高めるために、食事や住居を提供するだけでなく、従業員の子どものために幼稚園や学校も設置していました。さらに、自社の病院、映画館、消防隊も備えていました。

 裕元靴の最盛期には、同社は東莞市の高埗鎮の半分を占めており、輸出総額は高埗鎮の50%を占めていました。2007年には、裕元靴の年間生産額は数十億ドルに達しました。しかし、近年では中国の人件費、エネルギー価格、税金が急上昇したため、2012年から裕元靴は徐々に東莞市から撤退し、ベトナムへ移転することになりました。

 高埗鎮の裕元靴工業園区にあった工場と寮の建物群はかつて大規模でしたが、今は人影がなく、長年にわたり放置され、荒廃した状態にあります。

(翻訳・藍彧)