紋銀と呼ばれた元朝時代の銀錠(パブリック・ドメイン)

 中国の時代劇や映画で、登場人物が使用する通貨「銀」、または「銀両」をよく目にします。多くの作品に貨幣用の銀が登場しますが、作品によって銀が指す金額には大きな差があります。例えば、「饅頭2個とスープ1杯で五両銀」や「若奥様が一度の賭けに負けてしまい、一千万両銀をドブに捨てた」などのシーンがあります。これらを見ていると、一両銀が実際にいくらなのか、気になりますよね。
 今回は、古代中国の『一両銀』は一体どれぐらいの価値があるのか、調べてみました。

 金庸(きんよう)は、中国の武侠小説作家の代表の一人であり、彼は貨幣用の銀の概念に詳しいかもしれません。そこで、彼の作品『射鵰英雄伝(しゃちょうえいゆうでん)』の一節を例に挙げましょう。
 主人公の郭靖(かく・せい)が初めて黄蓉(こう・よう)に出会う時、黄蓉に食事をおごったら、「勘定をすると、合計十九両七錢四分」となりました。
 ここでの「十九両七錢四分」はいくらでしょうか?
 古い書物を読むと、一両銀の価値はとても高かったことがわかるはずです。明の万暦の時代では、国の年間総収入が200万両銀に達しました。これは、張居正(ちょう・きょせい)の財政改革によって国庫の収入が増えた結果です。『明史』には、県知事の年間基本給が45両銀に過ぎなかったと記されています。しかし、各王朝期の銀の価値が異なるため、一般的に古代の貨幣価値を推定する際、「一般等価物」が参照物として用いられます。そこで、「米」の価格は比較的安定しているため、一般等価物として物価の傾向をより正確に反映することができるので、ここでは平和の時期の米の価格を基準にして、一両銀の価値を推定していきます。
 史料によると、明の万暦の時代では、一両銀で一般的な品質の米を2石購入することができました。当時の1石は約94.4kgなので、一両銀で188.8kgの米を購入できます。現在、中国の一般家庭が食べる米の価格は1kgあたり3~4元であり、中間値の3.5元で計算すると、明の時代の一両銀は、現在の中国人民元で660.8元(約13,440円)に相当します。
 この一両銀が唐の時代になると、その購買力はさらに驚くほどに高くなります。唐の貞観の時代では、経済発展がとても豊かで、1斗の米がわずか5文銭で売られていました。1,000文銅銭に相当する一両銀は、200斗の米を購入することができます。10斗は1石に相当し、つまり200斗は20石です。唐の1石は約59kgですので、一両銀で1,180kgの米を購入できます。現在の一般的な米の価格を1kgあたり3.5元で計算すると、一両銀は現在の中国人民元で4,130元(約84,000円)の購買力に相当します。唐の開元の時代では財政インフレーションが発生し、米の価格が1斗あたり10文に上昇しましたが、それでも一両銀は中国人民元で2,065元(約42,000円)の価値がありました。
 宋の時代になると、貨幣制度は混乱し、史料の記載も矛盾が多く見られます。『宋史食貨志』には「熙寧・元豊以前、米一石は六、七百文をすぎない」とあり、『宋史職官志』には「米一斗は三十文」と記されているので、ここでは、2,000文の銅銭が一両銀に相当すると仮定します。平時の米価は1石で300~600文であり、一両銀で4石~8石の米を購入することができます。宋の時代の1石を66kgで計算すると、一両銀で264~528kgの米を購入できます。つまり、一両銀は現在の中国人民元で924元~1,848元(約18,700円~37,600円)に相当します。
 先ほどの郭靖と黄蓉の食事の話に戻りましょう。『射鵰英雄伝』の時代設定は南宋の中後期です。南宋と北宋の銀の価値がほぼ同じだと仮定すると、計算上、郭靖が「張家口」のような田舎で、黄蓉と二人で普通の食事をしたのに、556,000円もかかったことになります。
 今から見ると、これはとても信じられないことで、どんな珍味でもそれは高すぎます。郭靖はどんなに愚かでも、貧しい出身なのでお金の価値を知らないはずがありません。賢い黄蓉も、ここまで店にぼったくられるはずがないでしょう。

 説明が必要なのは、宋の時代以前は銀の総量が非常に少なく、その価値が高かったため、銀は流通貨幣として使用されていなかったということです。銀は朝廷の賞賜や会計決算、例えば税収や国レベルの支払いなどにのみ使用されていました。実際、明の時代以前の市場では銅銭が使用されており、北宋の一部地域では紙幣も登場しました。銀が貨幣として流通するようになったのは、明清時代の対外貿易が活発になり、外国から大量の銀が流入した後のことです。
 しかし、なぜ多くの人が銀を中国歴代の流通貨幣だと思っているのでしょうか?筆者に言わせれば、それは主に「明清時代の小説の普及」が原因だろうと考えています。これらの小説は、創作当時の生活状況を基に前朝を描写しており、『水滸伝』や『金瓶梅』、「三言二拍」などがその例です。これらの作品での銀の価値は、明の時代の銀価を基準にしており、実際の当時の貨幣と混同してしまいました。そしてこれらの大人気の小説作品が後世に大きな影響を与えたためか、古代中国を背景にした現代の歴史小説や武侠小説でも、その作品中の流通貨幣をすべて「銀」として描写されています。現代人は、古代中国の貨幣制度や銀の実際の購買力に対する認識がさらに間違っているため、「饅頭2個とスープ1杯で五両銀」や「十九両七錢四分の食事」などの描写が頻繁に見られるのでしょう。(憶測ですが、現代中国人の作者たちはただ単純に身近の「元」をそのまま「両」に置き換えて作品に書いていたかもしれません)
 したがって、真剣な読者や視聴者は、古代中国の経済状況に対する知識欲からでも、その作品をより深く楽しむためにも、「銀」の価値についてより明確な理解を持つことをお勧めします。

(翻訳・宴楽)