年末年始になると、町には必ず流れる定番の箏(お琴)の曲が幾つかあります。中でも「六段の調べ」という曲が最も古く、今から400年前に作られたものだそうです。日本人でしたら、曲名を知らなくても、その心が落ち着くメロディーを、どこかで一度は耳にしたことがあるでしょう。
一、日本の伝統楽器 箏(そう)
箏は奈良時代後半に唐から伝えられ、当時の都、京都を中心に皇帝や貴族の間で雅楽を演奏する楽器の一つとして楽しまれていました。雅楽で箏が演奏される様子は当時の古典文学、「枕草子」、「源氏物語」、「平家物語」等にも記述されています。
「箏」という字は訓読みで「こと」、音読みで「そう」と読みますが、楽器の名称としては「こと」と読むのが一般的で、「お琴」とも書きます。
箏は高貴な楽器とされています。日本で広く知られている形の箏は、13本の弦を持ち、龍の姿になぞらえていると言われており、弾く方の前部から順に各部位に「龍頭」や「龍尾」などの名前が付いているとのことです。
そして、箏(そう)と琴(きん)が混同されがちですが、これらは異なる楽器です。
箏は柱(じ)を利用している楽器のことを指し、琴は柱がなく、七本の弦を持つ楽器のことを言います。
二、お正月などによく聴く名曲 「六段の調べ」
箏曲の「六段の調べ」は、六段の構成からなり、歌を伴わない純器楽曲です。「六段の調べ」は「千鳥の曲」と並び江戸時代の古典箏曲を代表する曲の一つで、現代においてもBGMとして広く使用されており、学校教育における観賞用教材としても採用されています。
「六段の調べ」は、近世箏曲の開祖と称えられる八橋検校(やつはしけんぎょう)により、作曲されたものだと伝えられています。実際のところは、それ以前から伝承されてきた曲を、八橋検校が一つの決まった形にして弟子に伝えたものとも言われています。
年末年始になると、「六段の調べ」などの箏曲がテレビや寺、神社、街中に流れ、その優しい音色は正月の和の雰囲気を引き立ててくれます。400年も前に作られたこの箏曲が、古典音楽が衰退している現代でも、途絶えることなく、脈々と受け継がれて来たことから、その生命力の強さを物語っているように思います。
【高音質】箏曲 六段の調べ/八橋検校(YouTube動画のリンク):
https://www.youtube.com/watch?v=GgjWWfv8fgg
三、近世箏曲の開祖 八橋検校
八橋検校(1614〜1685)は、江戸時代前期に活躍した筝の演奏家であり作曲家です。彼は幼いころから目が不自由でしたが、三味線、筝の技法を学んで、演奏者としての名を高めました。1639年、目の見えない人たちによる組織「当道座(とうどうざ)」の最上級官位である検校に任じられたことで、八橋検校と名乗れるようになったそうです。
八橋検校は、それまでの筝曲に工夫をこらし、「六段の調べ」をはじめとする多くの名曲を作り出しました。そのお陰で、貴族・武士・僧侶などの音楽だった筝が、一般の人々も弾けるようになったのです。
そのため、八橋検校は現在の日本の箏の基礎を作り上げた人物だと言われています。
四、京都銘菓「八ツ橋」
京都の銘菓として知られる「八ツ橋」は八橋検校に由来するとした説があります。八橋検校の死後にその業績を偲んで、箏の形を模して作られた堅焼き煎餅を「八ツ橋」と名付けたと伝えられています。
京都で購入したお土産「八ツ橋」の箱には、次のような内容が掲載されているしおりが入っています。
「京都銘菓八ツ橋は、お琴の形に似せて作っています。
琴の名曲「六段の調べ」の作曲者として有名な八橋検校(やつはしけんぎょう)は、貞享二年(1685年)に72歳で亡くなり、京都黒谷の金戒光明寺に葬られました。
その後、八橋検校を慕って墓参する人々の記念にお琴をかたどったお菓子・八ツ橋を作り享保年間(1700年初旬)からおみやげとして発売されました。
以来、今日まで、米粉、砂糖、にっきなど、シンプルな素材で仕上げた素朴な味わいの八ツ橋は代表的な京の味として、親しまれています。」
そして、生地を焼かずに切っただけの「生八ツ橋」、さらに派生して「生八ツ橋」で小豆などの餡を包んだ商品も存在します。
「生八ツ橋」の登場は1960年代と比較的新しいものです。特に餡入りの「生八ツ橋」は、生地に抹茶やごま・餡に果物やチョコレートを用いるなど創意工夫が凝らされており、伝統的な「焼き八ツ橋」とは一線を画した人気を集めています。
2024年も後残り3ヶ月となりました。年末年始の定番である「六段の調べ」の箏曲が流れる季節がまたもや近づいて来ました。今年もあの風情を漂わせた「六段の調べ」を聞きながら、新しい年を迎えたいと思います。
(文・一心)