中国経済は低迷が続き、失業率が高止まりしています。全国GDPで長年首位を占めていた広東省でも、多くの失業者が出ています。最近、あるネットユーザーが広東で撮影した動画を投稿しました。動画には、大勢の出稼ぎ労働者が橋の下に集まり、地べたに寝て仕事を待っている様子が映っています。これまでの状況では、このような光景はあまり見られませんでした。この動画が公開されると、多くの共感を呼び、今年は広東で仕事を見つけるのが難しいと多くのネットユーザーが語っています。同時に、「さようなら広東」という話題が抖音(中国版TIKTOK)のトレンドランキング1位に急浮上しました。この話題には、仕事を失った多くの出稼ぎ労働者が広東を去る姿が溢れています。中には、広東がすでに失業率が最も高い省になったという声もあります。

 かつて広東省東莞市は「世界の工場」と呼ばれ、ここには多くの手工業工場や外資企業が集まっていました。以前、広東は出稼ぎ労働者が一番に選ぶ場所でした。現在の経済低迷の状況でも、新華社が5月17日に発表した統計によると、東莞には約21万社の工業企業があり、そのうち1.3万社以上が年間の主要事業収入が2000万元を超えています。しかし、わずか4か月後には、多くの労働者が広東を離れることを選んでいます。

 なぜ広東を離れて故郷に戻ったのかについて、多くのネットユーザーが自身の経験を語っています。

 ネットユーザー1:35歳、広州で8か月間失業しています。年明けから今まで働いていません。月300元の場所に住んでいて、1日1食しか食べられません。今の状況は誰にも話せません。

 ネットユーザー2:デザインを学び、卒業したばかりです。就職先の要求は、撮影ができること、PhotoshopやC4D、WPSが使えること、レンダリングと編集ができることでしたが、月給は3500元でした。

 ネットユーザー3:36歳で工場に入れなくなりました。人事の最初の質問が「夜勤はできるか」でした。工場が採用してくれても、私には夜勤が無理です。36歳の私はもう徹夜できなくなりました。体調も悪いし、子どももまだ小さいです。教育費や医療費は年々上がっています。先日健康診断を受けに行ったら、コロナ前は100元だったのが、パンデミック中は150元に、今年は165元に値上がりしていました。子どもを産んだことを本当に後悔しています。生活が厳しくなることを知っていたら、何もしなかったでしょう。両親をちゃんと世話して、彼らが亡くなったら、もう躺平((タンピン)したいと思います。

 ネットユーザー4:正直、広東に来た大学生の多くは月給5000元くらいで、あなたたちが想像するほど高くはありません。家賃も基本的に1000元くらいです。さらに、深センや広州でも月給3000~4000元の人がたくさんいて、しかも週休2日制ではないこともあります。もう一つ言うと、広東に出稼ぎに来る人の多くは、広東で稼いで広東で使うので、貯金が全くできません。

 ネットユーザー5:笑われるかもしれませんが、昨日求人サイトで仕事を探していて、唯一の条件は「週休二日制」でした。結果、都市全体で条件に合うのはたった4つの仕事しかなく、そのうちの一つは給料日が31日でした。何もかも終わったような気分です。

 ネットユーザー6:広東はもう出稼ぎには向いていません。私たちの会社でも、多くの出稼ぎ労働者が次々と辞めて故郷に戻りました。2年前はみんなの月給が7000元くらいありましたが、今は4000元しかありません。「地元で同じ給料がもらえるなら、広東にいる意味がない」とみんなが言っています。皆が故郷に帰れるが、私は広州の地元人ですが、どこに行けばいいのでしょうか?

 広州は中国で最も発展した省の一つであり、かつては成功を夢見て富を求める人々がこぞって集まる場所でした。しかし今、多くの夢を追っていた人々が故郷に戻ることを選んでいます。あるネットユーザーが投稿した動画では、広州で10年間懸命に働いてきたものの、最終的には無念の帰郷を選び、10年で持ち帰れるのは服の詰まった数個の袋といくつかの生活用品だけという現実が映し出されています。出稼ぎ労働者が次々と去る様子は、ある時代の終焉を象徴しているようです。

(翻訳・吉原木子)