中国では司法システムの腐敗により、数多くの冤罪事件が発生しています。そこで、一般国民にとって頼みの綱となるのが陳情制度です。しかし、近日公表されたデータによると、陳情の成功率はわずか0.05%であることが明らかになりました。つまり、1万人が陳情施設を訪れても、訴えを聞き入れられるのは5人しかいないのです。

 海外メディア「大紀元」によると、このデータは中国当局の陳情担当部門がまとめたものです。そのため、そもそも陳情することが許されない人や、家を出る前から監視され、道中で拘束された陳情者は母数に含まれていません。このことを考慮すれば、実際の成功率はさらに低くなるはずです。

 では、当局に目をつけられた陳情者はどのようなことに遭遇するのでしょうか。最近、湖北省で発生した事件がその最たる例です。

李和永さんのケース

 4月19日、湖北省恩施市(おんし・し)の郊外にある村では、陳情者が「精神病患者」の烙印(らくいん)を押され、精神病院に監禁される事件が発生し、ネット上で話題になりました。

 事件発生当日、李和永(り・わえい)さんと他の6人の陳情者は、次の日に陳情に行くことを決めました。彼らは皆、農耕地に関する民事訴訟を抱えていました。李和永さんは自力で法律知識を学び、他の陳情者のために陳情書面を準備しました。

 しかし、村民委員会や地元の警察署、病院関係者が李和永さんを拘束し、お尻の皮膚病を治療する名目で、地元病院の精神科に連行しました。

 同じ日の夜、李和永さんの77歳の母親も村民委員会により「監理義務者」として精神科に送られました。彼女はすぐに統合失調症と診断され、女性患者専用の精神病区画に閉じ込められました。

 収容対象者本人および親族の同意なしに、1日のうちに母親とその子供が村民委員会の指導の下、精神病院に送られました。そして、警察が一連の行動に参加していたのです。

 中国の法律では、精神病患者の入院治療は基本的に自発的に行われるべきであり、例外として「他人の安全に危害を及ぼす行為が発生している場合、またはその危険がある場合」にのみ強制入院が認められています。

 では、李和永さんと彼の母親は「強制入院」の条件を満たしていたのでしょうか?報道によれば、李和永さんは医師の訪問診断の際に「双極性障害(そううつ病)」と診断されました。しかし、その訪問診断は特定の村民を対象としたものであり、診断対象のリストは村民委員会が提出したものでした。さらに、李和永さんの母親の精神病については、彼女が連行された当日に突然「診断」されたものでした。

 また、李和永さんとその母親が他人に危害を及ぼす危険性を持っているか否かについて、村民委員会は何の証拠も提示しませんでした。一連のことからわかるように、二人は「強制入院」の条件をまったく満たしていないのです。

 記者の取材に対して、病院の責任者は「李和永さんに他人を傷つける危険性があるとは思えない」と明確に述べました。それにもかかわらず、李和永さんは退院することができませんでした。

 冤罪事件が頻発する中国において、李和永さんのようなケースは決して少数ではありません。陳情をする前にさまざまな口実で人身の自由を奪われ、さらには命を失った人々がどれほどいるのでしょうか。

 中国には次のような滑稽な話があります。「北京で最も長い行列ができる場所が二つある。一つはアメリカ大使館、もう一つは陳情施設だ」。ここまで聞いた皆さんは、きっとその意味を理解できるでしょう。

尹麗萍さんのケース

 一般的な冤罪事件などの場合、中国人は成功率0.05%の陳情施設を利用することができます。しかし、中国国内では解決のしようがなく、アメリカで陳情しなければならない場合もあります。

 2016年4月14日、アメリカ連邦議事堂で特別な公聴会が開催されました。主催者は「中国問題に関する連邦議会・行政府委員会(CECC)」で、テーマは「広範囲に及ぶ中国の拷問」でした。中国東北部の遼寧省からアメリカに逃れた法輪功学習者の尹麗萍(イン・リーピン)さんはたった一人の証言者として、中国の強制収容施設で行われている拷問や性的迫害について生々しく証言しました。

 尹麗萍さんは証言台に立ち、自身の目の前で拷問を受け、命を落とした人々の経験を涙ながらに語りました。「生きて帰ることができたら、この非人道的な所業を世界中に知らしめると、仲間が約束した。もう語ることもできない彼女たちの代わりに、私は証言台に立っている」と尹麗萍さんは語りました。

 尹麗萍さんは、法輪功学習者を監禁する馬三家(マーサンジャー)労働収容所に長期間拘束されました。その間、ベッドに両手を縛り付けられ、2か月以上にわたり正体不明の薬物を注射される拷問を受けました。その結果、視力が一時的に失われました。また、鼻の穴にプラスチックのチューブを強引に差し込まれ、流動食を流し込まれる扱いを受けた結果、命を失いかけたといいます。

 尹麗萍さんによると、中国共産党幹部は、法輪功に対する迫害を一つの戦争だと捉えていました。2000年9月中旬、遼寧省馬三家労働収容所の所長である蘇境は大会でこう言いました。
「これは硝煙のない戦争だ。国が法輪功のために使う経費は、戦争の戦費に匹敵する」

 尹麗萍さんは、これが中国共産党上層部からの命令であるとわかりました。中国共産党は全ての法輪功学習者に対し、信仰を放棄するよう強制していました。

 2001年4月19日、尹麗萍さんはその日を「一生忘れることはない」と述べました。その日の朝、尹麗萍さんと他の8人の女性法輪功学習者はとある秘密施設に移送されました。そこは、男性の囚人が女性法輪功学習者に対して性的な迫害を行うための監禁施設でした。9人の女性法輪功学習者はそれぞれ別々の部屋に送られました。「私が部屋に入ると、すでに4人の男がそこにいた」と尹麗萍さんは証言しました。

 ある日の午後10時頃、廊下から女性の悲惨な叫び声が聞こえてきました。一緒に拘束されていた女性法輪功学習者、鄒桂榮さん(スウ・グェイロン)の悲鳴でした。

 「彼女の声を聞いて、私は廊下に飛び出した。彼女も私のところに駆け寄り、互いに守るために抱き合った。監視役の男性囚人らは私たちを殴り続けた。私の目元は赤く腫れ上がり、服はすべて引き裂かれました。そして私たちはそれぞれの部屋に引き戻された」

 4人の男が尹麗萍さんをベッドに放り投げました。そのうちの1人の30代の男が尹麗萍さんに跨がり、顔や頭を激しく殴りました。尹麗萍さんの記憶はそこまでしかありませんでした。目を覚ますと、隣には3人の男が横たわっていました。彼らに集団暴行を受けている様子は、録画もされていました。

 尹麗萍さんは連邦議会で次のように語りました。「その日、私は誓った。もし生きてここから出ることができたら、必ず彼らを訴える。もしここで死んだなら、私の魂は彼らを決して許さない。彼らの行為は人間ができることではないのだ」

 尹麗萍さんは「この迫害において、これまでに私が知っている法輪功学習者のうち10人が亡くなった。30人が迫害によって精神異常になりました」

 性的暴行を受けた鄒桂榮さんは、2002年4月に亡くなりました。

 尹麗萍さんは証言台で法輪功学習者の王傑さんの写真を掲げました。王傑さんは2003年に拘束され、その後、拷問により膀胱(ぼうこう)の病変を起こし、釈放されてから1年以上して亡くなりました。王傑が亡くなった日は、まさに彼女の娘の誕生日でした。彼女の姉は絶えず呼びかけていました。「王傑さん、絶対に今日死なないで。今日はあなたの娘の誕生日よ。あなたが死んだら、娘さんは今後どうやって生きていくの?」

 王傑さんは、娘の誕生日の翌日の午前9時過ぎ、尹麗萍さんの腕の中で息を引き取りました。

終わりに

 現代の民主主義国家において、社会の公平と正義を守るのは法律と裁判所です。そのため、人々がトラブルを解決する際はよく「裁判所で会おう」と言います。

 中国の人々も「裁判所で会おう」と望んでいますが、待っているのはしばしば「刑務所」と「精神病院」です。法輪功学習者に至っては、海を越えた異国でしか声を挙げられる場所がないのです。

 李和永さんや尹麗萍さんのような悲劇はいつまで続くのでしょうか。中国人も「裁判所で会おう」と堂々と言える日はいつ来るのだろうか。答えは簡単です。それは、中国共産党が崩壊する日なのです。

(翻訳・唐木 衛)