ここ数年、中国社会における暴力事件と傷害事件の頻発により、医師は高リスク職業の一つとなっています。最近、ある心臓内科医が診察中に突然男にナイフで襲われ、重傷を負い、救命措置も及ばず亡くなる事件が発生しました。

 中国公式メディアの報道によると、温州医科大学付属第一病院心臓血管内科の李晟医師は7月19日午後13時頃、外来診療中に突然男に刃物で刺され、体に大怪我を負いました。8時間以上の救命措置の末、李晟医師は午後9時頃に亡くなりました。男は犯行後、飛び降り自殺を図り、重傷を負いました。

 ネット上で出回っている動画では、事件発生時、白いズボンを履いた男が白衣を着た李晟医師につかみかかり、何度もナイフで刺している様子が映っています。李晟医師はもがきながら、「助けて!」「私じゃない!」「本当に私じゃないんだ!」と叫んでいました。

 事件の発端について、情報筋によると、李晟医師を襲った男は、患者の家族であり、もともとは周浩という医師を狙っていたとのことです。11年前、男の妻がこの病院で心臓手術を受けた際、主治医が周浩医師でした。しかし、手術後の回復が思わしくなく、男は病院に抗議の横断幕を掲げることもありました。今年7月19日の朝、男は妻を連れて再び病院を訪れましたが、結果は芳しくなく、妻は治療を続けても見込みがないと判断し、自宅から飛び降り自殺をしました。犯人はその刺激を受け、過激な行動に出たのです。しかし、周浩医師が食事に出かけたので、無実の李晟医師が犠牲になりました。

 李晟医師の同僚はメディアのインタビューで、「李晟医師は長年にわたり臨床に専念し、論文や課題には手を回す暇がありませんでした。30年近く働いてきました。彼はとても温厚で、忍耐強く、しばしば遅くまで残業していました」と述べました。心外科の同僚もSNSに投稿し、「李晟医師は心内科で一番の医師であり、彼以上はいない。私たちが難しい問題に直面したとき、最初に思い浮かぶのは彼です」と綴りました。

 李晟医師の悲劇は孤立した事件ではありません。中国メディアの不完全な統計によると、2000年以降、公に報道された医師の傷害事件は400件を超え、そのうち医師が死亡したのは数十件です。その中でよく知られているのが、北京の眼科医陶勇医師が襲われた事件です。

 2020年1月20日、北京市朝陽病院の眼科医陶勇医師が当直中に、男が包丁を持って乱入しました。男は陶勇医師の頭部を狙って切りつけ、陶勇医師はとっさに手を上げて防ごうとしましたが、左手が切り落とされました。男は再び包丁を振り下ろし、混乱の中、一人の患者の母親が陶勇医師をかばいました。そのおかげで、陶勇医師は逃げることができました。陶勇医師をかばった母親の子供は、翌日眼科手術を受ける予定で、主治医は陶勇医師でした。この傷害事件で、陶勇医師は、頭蓋骨骨折、腕に複数の傷、左手骨折、神経・筋肉・血管の断裂といった重傷を負いました。陶勇医師をかばった患者の母親はこのニュースを聞いて泣き崩れ、「私の子供は何年も待ってやっと陶勇医師に手術を受けられるのに、なぜこんなことが起こるのか!」と嘆きました。

 陶勇医師は事件以前から既に中国眼科界のトップとして知られており、98篇のSCI論文を発表し、国家特許を三つ取得していました。10年間、一万件以上の手術を行ってきました。彼は中国で唯一「歯で目を作る」OOKP(歯根部利用人工角膜)手術ができる医師です。陶勇医師の手が損傷を受けたことで、この技術は中国から完全に失われました。驚くべきことに、犯人は陶勇医師の元患者でした。患者は農民で、生まれつき高度近視でした。これまでに何度か手術を受けましたが、いずれも成功せず、重篤な合併症を引き起こしていました。陶勇医師の手術後、患者は眼球を保ち、一部視力を回復しましたが、患者は満足せず、手術が完全に正常視力を回復させなかったため、不満を抱き、復讐を決意しました。

 インタビューで、陶勇医師は「ほぼ失明寸前の彼を治療し、人ごみの中で私を見つけて傷つけることができるようにしたのに、彼は一体何が不満なのか」と語りました。

 一体何が原因で、医師と患者の対立がこれほどまでに深刻化したのでしょうか。このような悪質な医療暴力事件の発生には、当事者の個人的な要因が関係していますが、現在の中国では病院に対する不信感が広がっていることは否めません。病院は中国の高消費の場の一つとなっていて、ちょっとした風邪でも病院まで行くと数百元かかります。深刻な病気の場合、繰り返しの治療で一般家庭の貯蓄を簡単に使い果たし、重い医療債務を背負うこともあります。

 北京大学国家発展研究院の李玲・経済学教授は、「中国人は年間平均7回病院に行きますが、これは世界最多で、先進国は3~4回です。 2023年の中国の診療件数は95.4億件で、2022年に比べて十数億件増加しました。その背景には、病院が収益を上げる必要があるからです。例えば、頭痛や足の痛みで病院に行けば、ほとんどの病院がCT検査を要求します。胃の病気で病院に行けば、多くの医師が胃カメラを勧めます。手術が不要な病気でも手術をさせます。重くない病気をわざと重く言います」と述べました。

 中国には良い医師がいないのでしょうか?もちろんそんなことはありません。陶勇医師や亡くなった李晟医師のように、多くの患者を治療してきた優れた医師が大勢います。しかし、彼らの努力は、中国人の病院に対する悪いイメージを覆すことはできません。その原因は中国の医療システム自体の腐敗にあります。患者を金儲けの手段と見なすことが、中国の病院の一般的な現象となっています。医師個人が患者のために尽力しても、病院は不必要な検査や薬を通じて、患者の財布を絞り取ります。医師に毎月の業務ノルマを直接指示する病院もあり、その達成状況によって診療科全体、看護師から医師までの収入が左右されます。このような制度の下で、医師個人ができることは限られています。

 中国のネット上では、多くのネットユーザーが怒りを表し、医師を傷つける者に対して厳しい司法処罰を求めています。しかし、これは対症療法に過ぎません。中国の病院の腐敗した制度を根本的に解決しない限り、絶望的な状況に追い込まれた人々が私刑に訴える事態は続くでしょう。

(翻訳・吉原木子)