中国経済は低迷し続け、失業率は高止まりしています。倒産、解雇、失業の重圧下で、一線都市の中産階級から三、四線都市の賃金労働者が苦境に立たされています。彼らは失業問題をどう見ているのでしょうか?失業によってもたらされる生活の困難や心理的重圧にどのように向き合っているのでしょうか?また、将来どのような計画を立てているのでしょうか?
困惑の渦中にある外資系企業の元幹部たち
一線都市出身でIT業界に従事する陳さん(男性)は、外資系企業で20年以上働いており、中国の改革開放の恩恵を十分に享受した中産階級の一員です。しかし、ここ4、5年、外資系企業が中国から撤退する様子を目の当たりにしました。現在の仕事の状況について尋ねられると、彼は「うーん、フリーランスかな」と答えました。
陳さんは自分を「自由職業者」と呼び、時折副職を請け負い、企業コンサルティングなどをしています。彼は、中国における外資系企業の縮小に伴い、自分のように失業している人が増えていると述べました。「先週、過去の同僚たちと集まって話をしたとき、多くの人が職を失っていることを知った」
ハイテク産業は長らく、外資系企業が中国に集中的に投資してきた分野でしたが、現在では米中競争の最前線になっています。近年、米政府は中国のハイテク製品、特に半導体や人工知能などの技術分野に対する輸出規制を強化し続けています。
米国が貿易障壁を設ける一方で、中国当局は科学技術のいわゆる「自主可控(じしゅかこう)」政策を推進しています。「自主可控」は、技術や産業分野において、外国の技術や製品に依存せず、自国で開発・生産する能力を指します。陳さんはこれを次のようにまとめています。「中国が欲しいものはアメリカが売ってくれず、アメリカが売れるものは中国が欲しくない。これは気まずい状況だ。実際、これはすでに自由競争の市場ではない。外資系企業がすでに中国に拠点を構える必要性はもはやない」
数年前、陳さんが勤めていた米国企業が中国から撤退した後、彼はヨーロッパの新興企業に入社し、アジア太平洋地域の業務を担当していました。同社は当時、中国のあるハイテク企業と中東地域でプロジェクトに取り込んでおり、当初は非常に順調に進んでいました。
陳さんは、「ある日の深夜、その中国企業の幹部から電話がかかってきて、『政治環境の影響でプロジェクトは現在中断し、今後協力する機会があるかどうかはわからない』と言ってきた」と語りました。このような結果になった原因は、同社が米国から購入した技術を使用していたためであり、中国は米国技術に対する依存度の制限をますます厳しくしているからだと、陳さんは述べました。
地政学的な衝撃により国際市場環境が劇的に変化し、外資系企業の中国におけるビジネスや従業員の発展に直接的な影響を与えました。これは、陳さんが20~30年前には夢にも思わなかった事態です。こうした難局に直面する陳さんと外資系企業の同僚たちは、自分たちで解決策を見つけなければならなかったのです。「私の友人や同僚の多くは、国営企業や民営企業に転職するか、合弁企業に参画している。外資系企業の多くが撤退しても、この市場を完全に手放したくないため、国内企業とジョイント・ベンチャーを組み、何らかのビジネスを続けている」
しかし、外資系企業で20~30年働いてきたこの世代にとって、現在の民営企業や国営企業の環境に適応するのは容易ではありません。陳さんは、「以前は米国企業で働いていた友人が、その後、国有の大手企業に転職したが、1年もたたないうちに辞めてしまった。大手企業に入るのは羨ましいことだが、文化の違いに適応できない友人は私に愚痴をこぼした」と語りました。
民間企業や国営企業に適応できない、または適応したくないため、陳さんのようなベテランの元外資系企業社員は第三者のコンサルタントや「フリーランス」としての道を選ぶしかありません。「私たちの世代にとって、これは非常に気まずい状況だ」と彼は言います。
失業中だが「タンピン(寝そべり)できない」民間企業ホワイトカラー
上海出身の劉さん(40歳近く、男性)は、現在「失業保険金」を受け取っている状態です。コロナのパンデミック前は国内大手投資会社のシニアアシスタントとして働いていましたが、その会社は最近破産を発表しました。その後、食品会社に転職しました。
劉さんは「今思うと後悔している。2022年に上海が閉鎖されるタイミングで食品会社を辞めた。状況がこれほど悪化するとは思わなかった。2022年末に上場企業に就職した」と述べました。
しかしその直後、劉さんはその上場企業から解雇されました。その会社は主に欧米の自動車メーカーに部品を提供していたが、パンデミック後、これらの得意先の注文が海外に移転してしまいました。
劉さんは、「GMやフォードなどのメーカーは、今後3年以内にメイド・イン・チャイナ(中国製)の割合を45%までに下げるよう要求したため、私が働いていた会社は2023年にタイに工場を建設するために投資した。生産能力が海外に移転するということは、国内の稼働が不足することを意味する。そのため、私は解雇された」と語りました。
劉さんは、多くの海外バイヤーが、サプライチェーン全体を中国に完全に依存しないよう要求していると述べました。これはコロナのパンデミックによるサプライチェーンの中断・混乱から学んだ教訓でもあり、将来的に西側諸国と中国がさらに「デカップリング」することへの懸念も含まれています。
自分が適切な仕事を見つけられない理由について、劉さんは2つの原因を挙げました。「一つは、私が望むような会社や私の給与を支払える会社の経営状況が非常に悪いこと。もう一つは、いつの間にか35歳以上になると仕事が見つからないという現実があること」
現在、若者の失業率が高く、博士号や修士号を持つ者が街に溢れている昨今、劉さんは住職活動のプレッシャーを強く感じています。一方、上海の外資系企業はほぼ撤退し、国営企業や中央企業に入るのは「コネ」が必要で、民間企業も厳しい事情を抱えています。「民間企業は仕事が少なく、年齢がネックになり、人としての扱いをされない。さらに、上海を除くと、週休2日制を採用している民間企業はほとんどなく、皆週6日働いている」と劉さんは言いまし。
劉さんよると、周囲には彼のような失業者が多い一方で、何とか勤めている者もいるが、そんな日々は苦しく、出勤すると日々の出費が増えて結果的に損をするケースさえあるといいます。
シングルファーザーである劉さんは現在60万元(約1300万円)以上の住宅ローンを抱えています。貯蓄はまだ生活を維持するのに十分ですが、「上に親、下に子どもがいる」プレッシャーの下で、彼は「タンピン(寝そべり)」することができません。「自ら強制して、毎日外に出て、スーツにはならなくてもビジネスライクな装いをして、さまざまな人と会い、突破口を見つけようとしている」
「生存が優先」が劉さんの座右銘で、就職できないなら自ら雇用を創り出すしかないという考え方です。「今、現金収入が得られるなら、違法でない限り何でも試してみたい」
現在、彼はあらゆるビジネスチャンスを模索しています。例えば、太陽光発電用のインバーターや化粧品の輸出機会など、あらゆる可能性を研究し、試しています。しかし、彼は率直に次のように述べました。「今では、誰もが知っているように、どれも簡単にできるものはない!」
(翻訳・藍彧)