扁鵲(へんじゃく)は、古代中国、とくに漢以前の中国における名医である。(Gan Bozong (Tang period, 618-907), CC BY 4.0, via Wikimedia Commons)

 古代中国の名医といえば、ほとんどの人は、あの医術が高い道家の修行者でもある扁鵲(へんじゃく)を思い出すでしょう。実は「起死回生」という言葉は、扁鵲に由来していることをご存知でしょうか?
 今回は「起死回生」の語源である大医学者「扁鵲」が病気を治療し、命を救った逸話を紹介します。

 一般的によく知られている「扁鵲」は春秋戦国時代の人で、本名は秦越人(しん・えつじん)です。秦越人は少年時代、道家の師匠・長桑君(ちょうそうくん)に師事して、医術を学びながら道家の修行もしました。彼は特に脈診に精通しており、さらに内臓の病気を透視できる能力も持っていました。秦越人は修業を終えてから、師匠の要求で、諸国を遍歴し世の人々を助ける使命を遂行しました。
 昔の伝説では「扁鵲」という名前の名医がいました。それに因んで、春秋・戦国時代の趙の国では、医術の高い医者を皆「扁鵲」と呼んでいました。秦越人は諸国を巡って診療を行い、医術と品性ともに優れていたため、名が天下に広まりました。秦越人が趙の国で診療を行った時に、「扁鵲」と呼ばれるようになり、今に伝わっています。

 ある日、扁鵲が虢(かく)の国を過る時、虢の太子が急死したことを耳にしました。すると、扁鵲が宮門まで赴いて、太子の側近に死因を尋ねました。
 側近は「太子様は気血の巡りが滞ったため、内臓に損傷をもたらしており、今朝急に発病して、お亡くなりに…」と伝えました。
太子がなくなってからまだ半日も経ってないことを聞いた扁鵲は、太子が横たわっている方向をしばらく眺めました。そして、側近に「私は太子様を蘇らせることができると、貴国の殿様にお伝えください」と言いました。
 側近は驚いて「ご冗談を。死んだ人を生き返らせるとでも?子供でも信じてくれませんね!」と疑いの目を向けました。
 扁鵲は溜息を吐き、「私の話を信じてくださらなくても結構ですが、太子様のご様子をよく見てみてください。太子様の耳からまだ鳴っている音が聞こえるはずで、鼻翼(びよく)が微かに動いていて、両股の間にもまだ温かみが残っているはずです」と話しました。
 側近は扁鵲の話を聞いたら、すぐに太子の様子を見に行きました。まさか太子の様子が扁鵲の言ったことと寸分も違わないことに、側近は驚きました。
 すると、側近は急いで扁鵲の話と太子の様子を虢の国王に報じました。虢の国王は話を聞いたらすぐ、驚きながら喜んで扁鵲を迎え入れました。
 虢の国王は、「先生のご高名はかねがね伺っておりました。虢の国にお越しいただき誠にありがたく存じます。先生がもし我が息子を救うことができれば、それは我が家族、ひいては我が国の幸甚です!」と扁鵲に言いながら、焦る気持ちをこらえきれず涙がこぼれました。
 扁鵲は「恐れ入りますが、太子様がかかったのは尸厥(しけつ)の症と呼ばれる病です。陰と陽の気がぶつかり、互いに行き止まりとなったため、気血の滞りを招いて、太子様は突然意識不明になりました。一見死んだように見えますが、そんなことに及びません」と説明しました。
 すると、扁鵲は同行の弟子に鍼(はり)を用意させ、太子のツボに刺しました。間もなく、太子は目を覚ましました。さらに、扁鵲は弟子に太子の両脇の下を薬で交互に温めさせ、しばらくすると、太子は自力で座れるようになりました。その後、太子は二十日余り薬を飲み続けたところ、体調がすっかり回復しました。
 虢の国王が大喜びして、扁鵲に謝礼として大金を贈ろうとしましたが、扁鵲は一切受け取らず、弟子を連れて次の旅に立ちました。
 太子が生き返ったことがたちまち虢の国で広がり、虢は国を挙げて祝いました。民間では、扁鵲は病気を治せるだけでなく、死人を生き返らせる神医だと言い伝えました。それ以来、「起死回生」という言葉は、扁鵲が人を生き返らせた物語とともに、今に伝わっています。

 ところで、扁鵲は神医とはいえ、どうして虢の太子が死んでいないことを分かったのでしょうか?太子を診てもいないのに、どうやって太子の耳に鳴り音があり、鼻翼が動いており、両股の間がまだ温かいことを分かったのでしょうか?もちろん、太子の側近の言葉だけではありません。
 古代中国の大医学者は、高尚な品徳と優れた医術を持っているだけではなく、いわゆる超能力も兼ね備えています。彼らは「天目」という超能力で、一般人には見えないものを見ることができ、人体を透視することもできます。扁鵲は、太子の体内の状況を見ることができ、さらに自分の医術と長年経験の上に、太子の側近の説明を通して、太子の症状を的確に言い当てたわけなのです。
 では、これらの大医学者はなぜ超能力を持てたのでしょうか?古代中国の多くの大医学者は道家の修行者でした。扁鵲は幼い頃から道家の師匠である長桑君に師事して修行をしてきたため、超能力を持てたのです。扁鵲が太子を救った後、虢の国王からの謝金を一切受け取らなかったことから、彼は金銭や名利に淡泊で、徳を重んじる修行者の品性を備えていることが伺えます。逆に言えば、医者として金銭や名利ばかりを追求し、品徳を重んじないのなら、優れた医術を持つことができず、ましてや超能力を持てるはずもありません。
 死人を「起死回生」させた扁鵲と彼の多くの逸話が、千古から伝わっていて、まさに神から人に対するお諭しでしょう。

(文・清竹/翻訳・心静)