今年6月、中国南部の多くの地域で大洪水が発生し、国民の生命と財産に深刻な被害をもたらしました。公式発表によると、広東省、広西チワン族自治区、福建省、安徽省などの地域が100年に一度の大洪水に見舞われたとされています。しかし、貯水池(ダム)が突然放水したために住民が避難できず、大きな損失をもたらしたという報道もあります。それでは、中国の貯水池と近年頻発している洪水災害の間には一体どのような関係があるのでしょうか?

貯水池の地形図は国家機密

 三峡貯水池の研究で世界的な権威とされるドイツ在住の中国人水利専門家の王維洛(おういらく)氏が、新唐人テレビの「菁英論壇(エリート・フォーラム)」番組で、中国において貯水池に関する多くの資料は国家機密であると述べました。

 広西チワン族自治区の桂林市は2020年以降、毎年洪水が発生しており、その被害はいずれも深刻なものでした。しかし、地元の住民は自分の家が洪水に遭いやすい場所にあるかどうかを知ることができません。アメリカでは、一般の人々はネットで自分の住んでいる地域の地形図を調べることができますが、桂林市の住民はもちろん、中国全土の住民もこのような地形図にアクセスできません。この2万分の1の地形図は、中国では最高機密とされており、中国軍の総参謀本部が保管する極秘のもので、一般の住民が閲覧はできません。

 桂林市の今回の洪水では、水位の上昇の大部分は、桂林市のいわゆる都市を緑化して水を集める「スポンジシティ」の建設が原因です。以前は、漓江(りこう)の左岸は農地で、水が流れ通ることができ、洪水で農地が水没することもありました。しかし、現在の桂林市は新たな計画が進行した結果、洪水が農地に流れ込まないようになっています。中国当局が推進するスポンジシティの計画は、一見すると良いアイデアのように聞こえるが、保水機能を持つスポンジシティは降雨量の70%を都市内に留めるという設計目標と現実が矛盾しています。現在、設計目標は達成され、70%の水が都市内に留まっていますが、その結果、市内は至る所で洪水に見舞われました。

 今回の桂林市の洪水の大きな原因の1つは、4つの貯水池のうち最大の青獅潭貯水池が危険な状態にあることです。そのため、洪水時にこの貯水池は水をためることができず、その防洪機能を果たさなかったのです。下流の住民は、上流に大きな貯水池があるために自分たちが守られていると安心していました。しかし、実際には貯水池が機能を果たせず、そのため、桂林市にこのような非常に大規模な人為的災害が発生してしまったのです。

中国の頭上に10万個の原子爆弾

 王維洛氏は「エリート・フォーラム」番組で、中国には10万基の貯水池があり、これらの貯水池は中国の年間使用水量をすべて蓄えることができると述べました。しかし、なぜ中国の洪水災害はますます増えているのでしょうか?

 過去と比べ、世界各国は貯水池に対して新しい認識を持っています。その転機となったのはエジプトのアスワン・ハイ・ダムです。アスワン・ハイ・ダムがもたらした悪影響があまりにも大きかったため、欧米の学者たちは貯水池建設の利益が少なく損失が大きいと反省し始めました。現在、西側諸国では大規模な貯水池建設を停止しています。

 最近のロシアのウクライナ侵攻では、ドニエプル川の貯水池が爆破され、甚大な影響を及ぼしました。

 トランプ前大統領は最近の演説で、もし彼の在任中に中国共産党が台湾を侵略した場合、米軍に北京を爆撃するよう命じると述べました。では、彼は北京のどこを爆撃するのでしょうか?

 1969年、北京が初めて爆撃の脅威にさらされたのは、中国共産党と旧ソ連が珍宝島(ダマンスキー島)で軍事衝突したためです。当時、旧ソ連は北京を爆撃する計画を立てていました。当時の中国共産党軍の最高指揮官である林彪(りんひょう)は、密雲貯水池を含む北京市の3つの貯水池が旧ソ連軍の爆撃目標になると判断しました。林彪のこの判断は、1976年の唐山地震によって証明されました。唐山地震の際、密雲貯水池の堤防が崩壊寸前となっていました。当時の水資源省の報告によると、もし堤防が崩壊していたら北京市と天津市は洪水に見舞われていたでしょう。

 王維洛氏は、貯水池の堤防は戦争になれば攻撃の目標とされるし、中国共産党が世界と敵対している今、中国の貯水池は最も脆弱(ぜいじゃく)な場所となっていると述べました。

 大紀元時報のシニア・エディター兼チーフ・ライターの石山氏は「エリート・フォーラム」で、中国の10万基の貯水池は、10万個の原子爆弾が頭上にぶら下がっているようなものだと述べました。貯水池建設には利益もあれば弊害もありますが、中国共産党は利益を取り、弊害を国民に押し付けています。

史上最大の人災、隠蔽されたダム決壊事故

 「大紀元時報」の総編集長である郭君氏は「エリート・フォーラム」で、1975年8月に河南省駐馬店市(ちゅうばてんし)で60以上の貯水池が決壊し、20万人以上が死亡したと述べました。当時、河南省では大雨が降り、駐馬店市の板橋(ばんきょう)貯水池が突然決壊し、洪水が下流へと押し寄せ、この地域にある62の大・中・小の貯水池が連鎖的に崩壊し、多くの地域が壊滅的な被害を受け、多くの村がほぼ全滅しました。

 公式発表による死亡者数は2.6万人とされていますが、1987年8月、中国人民政治協商会議(政協)第6期委員会のメンバー8人が連名で発表した「三峡ダムプロジェクトは害が多く利益が少ない。上層部を欺き、庶民を圧迫し、国を害し民を苦しめることは許されない」と題した記事の中で、板橋貯水池と石漫灘(せきまんたん)貯水池が1975年8月に決壊し、約23万人が死亡したと記されています。

 この事件は文化大革命の時期に発生し、後の唐山地震と同様の死者数をもたらしましたが、中国共産党はこの事実を隠蔽し、報道を禁じ、追跡調査も許可しませんでした。

 実は、2021年に河南省の鄭州市で発生した大洪水も人為的な原因があると、郭君氏が述べました。当時、地元政府は不動産開発のために、常荘ダムの水を利用して多くの人工湖や河川を建設しました。大雨が降ると、常荘ダムは越水し、放水を開始し、洪水が分水路を通じて鄭州市内を直撃し、380人以上が死亡しました。

 郭君氏は、貯水池の増水は目に見える災害ですが、見えない災害もあると述べました。例えば、北京市と天津市は水が豊富な地域だったのですが、西側と北側の山岳地帯に多くの貯水池が建設されたため、水が遮られ、最終的に半乾燥地域に変わりました。これは徐々に進行する人為的な災害です。中国ではこのようなことが非常に多いのです。

(翻訳・藍彧)