寧夏の銀川市内の承天寺塔(Fanghong, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 シルクロードに位置する寧夏は、古来からユーラシア大陸の東と西を結ぶ重要な交易路にある要衝でした。ここには豊富な資源があり、貴重な西夏文化遺跡と辺境の地の美しい風景によって、中国で最も魅力的な都市の一つとなっています。 
 寧夏は黄河の上流・中流域に位置し、砂漠と黄土高原が交わる地域にあり、内モンゴル自治区、甘粛省、陜西省と隣接しています。古来より中原北部の重要な国境地帯であり、「関中の障壁、河隴(かろう)の要衝」と称されるほど、戦略上非常に重要な位置にあります。

古代西夏王国の中心地

 寧夏は東部と西部を結ぶ重要なルートであると同時に、シルクロードの重要な交通・貿易の拠点でもありました。歴史的にも、寧夏は常に中国とモンゴルの間における戦略的に重要な土地でした。そのためか、唐朝末期に「古代西夏王国」は寧夏の銀川を首都として建国したのです。
 経済と軍事の要塞としての立地により、かつて「古代西夏王国」は繁栄していました。不毛の砂漠に多くの活力を与えただけでなく、文学、芸術、高度な科学技術の面において輝かしい歴史を刻み残しました。

古典詩が息づく地

 寧夏は古典詩に彩られた文化都市でもあり、歴代の文人墨客が不朽の詩を数多く残しています。
 「大漠(たいばく)孤煙(こえん)直(なほ)く、長河(ちょうか)落日(らくじつ)圓(まど)かなり」。唐王朝期の田園詩人・王維の詩『使至塞上(使いして塞上に至る)』は、中国北西部の荒涼とした果てしない砂漠の風景を描いています。果てしなく広がる砂漠の中で、狼煙台から立ち上る一筋の煙が青い空に向かって真っすぐに伸び、大砂漠の超然とした絶景と、その中にある俗世離れした毅然で果敢な精神性を表しました。
 唐王朝期の詩人・韋蟾(いせん)は「送盧潘尚書之靈武(盧藩尚書を神武に送る)」という詩の中で、寧夏を高く評価しています。「賀蘭山の下に果樹園あり、塞北江南はもとから名声あり」という詩は、「塞北江南」である寧夏のすばらしさを更に世の中に広めました。

寧夏沙坡頭の黄河大曲流。 豊かな銀川平原とテングリ砂漠の分岐点(mayanming, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

「塞北江南」の美しい風景

 王維の詩を読んで、多くの人が寧夏というと砂漠、夕日、辺境の要塞というイメージがあるようですが、実際はまったく逆です。見渡す限りの平坦な砂漠の中にありながら、緑豊かなオアシスであり、テングリ砂漠の連綿と続く砂の波や「東方のピラミッド」として知られる西夏の王陵があります。これらはみな寧夏ならではの景色です。
 寧夏は地理的位置が独特なため、ここの気候は四季がはっきりしています。黄土の丘、水郷の緑の稲、砂漠の黄金の砂、色とりどりの花と緑が見事に溶け合い、たくさんの水路が流れ、果樹の林が広がる詩的で絵画のように美しい風景が作り出されています。あまり知られていないかもしれませんが、羊肉、クコの実、スイカに加えて、寧夏のお米も特産品の一つです。寧夏米で炊いたご飯は一粒一粒が透き通るように光っていて甘く滑らかで、かねてより「朔方貢米(北方の献上米)」として知られています。

 コンクリートジャングルの生活空間にうんざりしたら、この広大で神秘的な土地に行ってみましょう。ラクダの行列の鈴の音を聴き、空に飛ぶ雁の列を見ながら、かつての寧夏の輝かしい繁栄を静かに感じて、寧夏独特の壮大な景色を味わってみるのも悪くないのではないでしょうか?

註:
①中原(ちゅうげん)とは、中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原のこと。
②詩文・書画などの風雅の道に携わる人。

(文・邵語柔/翻訳・夜香木)