(PxHere, CC0 パブリック・ドメイン)

 ビクトリア・アーレン(Victoria Arlen)さんが初めて世界の舞台に登場したのは、2012年のロンドンパラリンピックの時でした。あの夏、車椅子に座った彼女は、パラリンピックで金メダル1つ、銀メダル3つの合計4つのメダルを獲得し、世界記録を破り、世界中を勇気づけた英雄となりました。しかし、彼女がそのわずか2年前には、まだベッドに横たわっている植物人間だったことを、誰が想像できるでしょうか。
 今回は、ロンドン五輪の表彰台に立った植物人間の物語です。

訪れる不運

 1994年9月、ビクトリアさんはアメリカのニューハンプシャー州にある愛情溢れる家庭に生まれました。彼女は三つ子の中で唯一の女の子で、兄と弟がいます。かつてホッケー選手だった父親から、ビクトリアさんは運動の才能を受け継ぎ、小さい頃からエネルギッシュな子供で、毎日三兄弟で疲れることなく走り回っていました。彼女が最も好きなスポーツは水泳でした。
 ビクトリアさんは「小さい頃から水が大好きで、水の中にいると他のどこにもない幸せと自由を感じられる」と語りました。5歳の時、彼女は自分が水泳帽をかぶり、オリンピックの金メダルを手にしている絵を描き、その金メダルが夢だと両親に伝えました。学校に通うようになると、すぐに学校の水泳チームに選ばれ、夢に向かっての第一歩を踏み出しました。
 11歳の時、突然襲ってきた奇病がビクトリアさんの美しい夢を粉々にしました。わずか3ヶ月で、彼女の体は「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」のように徐々に動けなくなりました。最初は下腿が感覚を失い、次に太もも、そして腕、指、その後は首も動かなくなり、飲み込みや話すことも困難になりました。医師たちは彼女が何に罹っているかを診断できず、病気の進行をただ見守るしかありませんでした。最終的に、重度のてんかん発作と激しい頭痛の後、ビクトリアさんは知覚を失い、植物状態になりました。医師は、彼女の生存の可能性が非常に低いと言い、治療を諦めることを勧めました。
 しかし、母親のジャクリーン(Jacqueline Arlen)さんは医師の話しを聞かず、娘を家に連れて帰りました。家族は一室を病室に改装し、ビクトリアさんの世話と看病を始めました。母親はよく彼女に話しかけ、兄弟たちは彼女のために心地よい音楽を流していました。彼女がいつ目覚めるかは分かりませんが、彼らは辛抱強く待つことで、その日がいつか必ず来るのを信じていました。

「幽霊少女」の「白昼夢」

 その日は本当にやって来ました。ビクトリアさんは深い眠りから目覚めたのです。しかし、彼女はすぐに、恐ろしい事実に気づきました。それは、彼女が家族に自分が目覚めたことを知らせる方法がないということでした。
 ビクトリアさんは、体の一部だけでも動かすことができませんでした。手足は全く脳の命令に従わず、しゃべりたいことが無音の叫びになり、まぶたを開くという単純な動きでさえ「ミッション・インポッシブル」になってしまいました。彼女はまるで、自分の動けない体に閉じ込められた魂のような「幽霊少女」になってしまったのです。
 でも、もしかしたら事態はそんなに悪くないのかもしれない、とビクトリアさんは自分自身を慰めました。少なくとも、脳はアンロックされているのではないでしょうか?彼女はゆっくりと自分の名前を思い出し、家族の顔を思い出し、過去の美しい時々を思い出し、そして金メダルを取るという夢を思い出しました。そして彼女は自分に「今日が私の最後の日かもしれない。死を受け入れる準備をしなければ。もっと現実的でなければならない。でも、もし私がこの困難から生きて抜け出せたら、私は何をしたいだろう?」と語り掛けました。
 そして彼女はゆっくりと未来を計画し始め、心の中で「夢リスト」を書き始めました。彼女はこのリストを「白昼夢」と呼びました。なぜなら、彼女は自分がいつこの悪夢から抜け出せるのか本当にわからなかったからです。しかし、彼女はすべてが可能であると信じることに決めました。夢を実現するために、彼女は毎日神様に祈り、神様に約束しました。
 「もし、もう一度チャンスをいただけるのなら、私は私の物語を語って、この世界を変えようと思います。そして、私は一瞬たりとも無駄にはしません」
 こうして、ビクトリアさんは暗闇の中の毎日を乗り越えていきました。毎日、彼女は自分自身に「諦めてはいけない。困難には、立ち向かい、それを受け入れ、それに抗い、それを克服しよう(Face It, Embrace It, Defy It, Conquer It)」と言い聞かせます。そして毎日、再び蘇る瞬間のために準備をしていました。

目覚め

 2010年のある日、ある医師が来て、ビクトリアさんにてんかんを制御する薬を注射しました。その薬の中のある成分の効果で、ビクトリアさんは突然目を開けることができるようになりました。植物人間になりはじめてから約4年も経ったその日から、彼女は驚くべき速さで日に日に回復していき、話すこと、食べること、座ること、両手を振ることまでできるようになりました。両足がまだ動けないようですが、ビクトリアさんはとても感謝していました。
 夏が来たとき、ビクトリアさんの兄弟たちは彼女に救命胴衣を着せ、彼女をプールの中に投げ入れました。「夢があるんだろう?コーチを呼んであげたから、頑張って」と言いました。水の中にいるビクトリアさんはすぐに、以前のような自由な感覚を取り戻し、素早く泳ぎ始めたのです。久しぶりの笑顔が戻り、彼女の優れた才能もすぐに現れました。
 2年後、ビクトリアさんは2012年のパラリンピックアメリカ代表チームの選考会で簡単に世界記録を破り、その後、当然のようにロンドンパラリンピックの表彰台に立ちました。

「立ち上がり、踊りたい」

 花束と拍手の中で、ビクトリアさんは「夢リスト」から最初の願いにチェックを付けました。そして次の願いは、アメリカの有名なダンスコンテスト『ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』で踊ることです。ビクトリアさんは元気いっぱいに新たな挑戦に取り組み始め、母親のジャクリーンさんはいつも彼女のそばにいます。
 二人はあちこち尋ねた後、サンディエゴにある「Project Walk」というリハビリセンターを見つけました。ビクトリアさんはそこで3ヶ月間物理療法を受けましたが、進歩はほとんど見られませんでした。彼女は疲れ果てており、リハビリセンターも退去を勧め始めました。
 ちょうどその時、母親のジャクリーンさんはリハビリセンターが支店を開きたい計画を知り、突然心を動かされました。「あの時、神聖なエネルギーが自分の心に衝撃を与えているのを感じた」と、後にインタビューで彼女は語りました。4日後、彼女は夫のラリーさんに電話して、神からの呼びかけを感じたと伝え、ボストンに「Project Walk」リハビリセンターを開きたいと言いました。そうすれば、娘は自宅でリハビリを受け、より良いケアを受けることができます。ビクトリアさんの父はあっさりと同意しました。
 実は、ビクトリアさんが植物人間になって2年後に、彼女が非常に珍しい2種類の脊髄炎を患っていると医師たちは診断しました。しかし、原因は分かったものの、医師は現時点で治療法がない、彼女が座れるようになったのは奇跡だと正直に告げました。ところが、ビクトリアさんは「不可能ではない」と言って、そばにいる母親のジャクリーンさんもいつものように娘を信じ、心の呼びかけに従うことを決めました。
 2015年1月、アーレン一家がオーナーのリハビリセンターは大雪の中で開業しました。ビクトリアさんのリハビリトレーニングも再開されました。今回、努力は必ず報われると信じ、彼女は歯を食いしばって頑張りました。
 そんなある日、奇跡が再び起こりました。丁寧なトレーナーがビクトリアさんのトレーニングを手伝っているとき、彼女の脚の筋肉がわずかに痙攣したのを感じました。ビクトリアさんはこのわずかな痙攣を希望の光として捉えて追いかけ、5か月後、彼女は松葉杖なしで歩くようになりました。
 それ以来、ビクトリアさんの人生は再び飛躍しました。その年、メダリストとして、彼女はアメリカのスポーツ専門チャンネル「ESPN」の人気女性レポーターとなりました。さらに2017年、ビクトリアさんは『ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』に登場する夢を叶えました。素晴らしいプロのダンサー・バレンティン・チャメルコフスキー(Valentin Chmerkovskiy)さんとペアを組み、最終的に5位の好成績を勝ち取りました。

火を浴びて再び生まれる

 すべてが順調に進んでいるときに、母親のジャクリーンさんが予想もしていなかったことに、娘の病気が再発しました。
 2022年3月、ビクトリアさんはあるインタビューから帰る途中、自分の顔の右側が勝手に下がり始めるのに気づきました。まもなく、両足と両腕をコントロールする能力を失い、話すこともできなくなりました。彼女がもうすぐ再び麻痺する可能性があると医師たちは言いました。
 自分の体に閉じ込められたあの4年間を思い出すと、ビクトリアさんは震えながら、以前よりもっと熱心に祈り始めました。「いいえ、これは私の物語の結末ではないはず」と、彼女は神に向かって言いました。
 そして、再び奇跡が起こりました。医師たちは、今回は2種類の脊髄炎のうちの1つの再発だと診断し、ビクトリアさんにステロイドの薬を試しに投与しました。予想外にも、病状はコントロールされました。3週間後、ビクトリアさんは再びカメラの前に姿を現しました。

 何度も火を浴びて生まれ変わるフェニックスのようなビクトリアさんは今、人気のスピーカーとなり、世界中を飛び回り、自分の人生の物語を世界中に伝えています。彼女が演説する際、ほぼ毎回高さ10cmのハイヒールブーツを履いて、しっかりとした足取りで登場し、このように語ります。
 「もし、人生がどん底に落ちたとしても、それは思っているほど悪いことではないかもしれません。なぜなら、私はあのどん底をよく知っています。何度も行ってきましたからね!」

(翻訳・宴楽)