5月31日、カナダのLofty Sky Entertainment社が制作したアニメドキュメンタリー『長春 – Eternal Spring』が日本で初上映されました。初上映当日、「看中国」の記者は漫画家の大雄氏にインタビューを行いました。

記者: 20年以上前から、あなたは中国メディアによって「アニメの王」と称され、成功を収めていました。それなのに、なぜ中国を離れ、海外で活動することになったのですか?
大雄: 「アニメの王」という称号はメディアの報道によるものです。成功を収めたということは、当時の社会的地位を指しているのだと思います。当時、私はアーティストであり、大学で教鞭をとっていました。それなりの成功者と言えます。しかし、私はまだ若く、中国でその名誉の恩恵を受けることに満足していませんでした。私は自分の芸術的な才能をもっと大きな視野で見たいと思っていました。一方で、中国での生活はますます困難になっていました。私は法輪功を修煉していたため、迫害を受け、当局の嫌がらせに頻繁に遭っていました。また、中国の漫画市場は健全ではなく、全体が海賊版市場でした。オリジナルの作品を制作することはほぼ不可能でした。自問しました:「自分には本当に実力があるのか?中国ではアニメの王だが、国際的にはどうか?海外でも自分の才能で生き残れるのか?」これらのことは他人には重要ではないかもしれませんが、私にとっては非常に重要でした。アニメの王という称号にはこだわらず、ただ自分の仕事をきちんとこなすことが大切でした。仕事上の考慮と政治的な迫害を避けるために、中国を離れることに決めました。

記者: 私は絵画のことはあまり詳しくありませんが、あなたの絵は日本の漫画に近いと感じます。あなたの漫画のスタイルと特徴を教えてください。
大雄: 私の漫画が日本の漫画のスタイルに近いというのは、中日両国の文化には非常に似たところがあるためです。両国ともに中国の伝統文化の影響を受けています。中国絵画の白描と写意は、毛筆で描く黒白の線が特徴です。その後、ヨーロッパやアメリカに行ったときには、色彩を使うようになり、西洋の油絵の影響を受けました。日本の浮世絵も同様の影響を受けており、「漫画」という言葉自体が日本で生まれました。葛飾北斎が「漫」と「画」という字を組み合わせて作った言葉です。それが中国に伝わり、別の意味になりました。「漫」は浪漫、悠長な意味だけでなく、風刺やユーモアの意味も含まれています。今日に至るまで、私は自分の作品を「漫画」とは考えておらず、むしろ「連環画」として定義したいです。

記者: 私が高校で学んだ絵画の知識によると、中国画は写意画が多く、人物像の描写は大まかで、日本画のように人物を詳細に描くことはないようです。
大雄: 中国画の写意画は明朝から始まりました。それ以前は主に線で描かれていました。中国人は精神的な意境を表現することを好み、写実にはこだわりません。写意画は心の中の印象を重視し、山水や花鳥を描くことが多いです。西洋絵画は観察を基に描かれます。後に、両者は互いに影響を受け、近代に至り、中国の画家も西洋の美術教育を受けるようになり、大きな進歩を遂げました。日本の絵画も東西の絵画芸術を融合し、漫画という芸術形式を生み出しました。その後、日本の漫画は現代中国の芸術家にも影響を与えました。

記者: 中国にいたとき、あなたは多くの中国伝統文化の内容を漫画の形式で表現していました。例えば『戯画聊斎』や『諸子百家』など。これは個人的な興味からですか、それとも市場の需要からですか?
大雄: 主に出版社の依頼によるものです。中国は出版の自由がない国であり、アーティストが自分のやりたいことを自由にできるわけではありません。例えば、法輪功の真実を伝えるものを制作したいと思っても、出版社は出版しません。自分で創作したヒーローキャラクターを作りたいと思っても、中国には様々な政治的な検閲があり、創作の自由は非常に限られています。伝統文化の部分だけが許されている状況です。それでも、伝統文化の一部は再解釈や改編が可能です。この範囲内で、出版社は政治的なリスクを避けるためにいくつかのテーマを選び、私たちに依頼して制作させます。私はそのような大きな背景の中で制作を行っていました。

記者: そうすると、中国には創作の自由はほとんどないということですね?
大雄: 完全にないわけではありませんが、限られた自由があります。ラインを越えない限りは自由があります。低俗な内容は自由ですが、意識形態に関する内容や人々の思考を刺激するものは当局のレッドラインに触れる可能性が高いです。

(おわり)

(翻訳・吉原木子)