5月31日、カナダのLofty Sky Entertainment社が制作したアニメドキュメンタリー『長春 – Eternal Spring』が日本で初上映されました。当日の午後18時30分、東京都文京区にある文京シビックホールの小ホール(固定席300席)は満席となりました。国会議員、地方議員、政治評論家など数十人が前列のVIP席に座りました。約1時間半の上映が終わると、監督のJason Loftus氏と主演の大雄(本名:郭競雄)氏が観客との交流イベントを行いました。

 映画『長春 – Eternal Spring』は漫画家大雄の漫画を原作とし、実際のインタビューも交えて制作されました。この作品は、2002年3月に中国東北部の長春市で法輪功学習者がテレビ放送をジャックし、法輪功の真実を伝える歴史的事件を再現しています。

 SMGネットワーク(中国における臓器移植を考える会)の会長である丸山治章氏は、「法輪功学習者の信念と行動は決して無駄にはならない。彼らが勇気を持って続けてほしい」と述べました。多くの観客は、『長春 – Eternal Spring』が日本社会で広く知られ、多くの人々がこの歴史を知ることを望んでいました。

 初上映当日、「看中国」の記者は漫画家の大雄氏にインタビューを行いました。

大雄(郭競雄)氏へのインタビュー
記者: 郭さん、こんにちは。
大雄: こんにちは。

記者: 映画『長春』が描いた法輪功学習者がテレビ放送をジャックするという歴史的背景について、お話しいただけますか?
大雄: 20年前の中国は言論の自由がない場所でした。実際、今でもそうです。私も当時は新聞記者でした。法輪功は中国共産党(以下、中共)によって禁止され、迫害されました。当時の若い学習者たちは、真実を家族や友人、多くの中国人に伝えたいと考えました。言論の自由と信仰の自由を中国人のために求める一つの方法として、彼らは電波ジャックを行いました。

記者: 法輪功の明慧ネットの報道によると、長春の電波ジャックの後、2〜3年の間に中国全国で多くの電波ジャック事件が発生しました。長春の電波ジャックが全国の法輪功学習者にとって、真実を伝えるための大きな影響を与えたようですね。
大雄: そうですね。大多数の中国人は法輪功についての真実を知らないのが現状です。長春の電波ジャックは視聴率が非常に高く、大きな影響を与えました。その後の電波ジャックは長春ほどの影響力はありませんでした。これらの事件について、中国のメディアは報道しませんでしたが、長春の電波ジャックは中国中央テレビでも報道されました。中共はこの事件を非常に重視していました。

記者: 長春の電波ジャックは20年以上前の出来事ですが、20数年後の今、アニメーションの形式でこの歴史的な事件を再現しました。どのようにしてそのアイデアが生まれたのですか?
大雄: 長春の電波ジャックは20年以上前の出来事で、アニメ制作はその十数年後に始まりました。この事件は今でも終わっていないと言えます。当時、電波ジャックの目的は真実を伝えることでした。私がアニメーションを制作した目的も同様に真実を伝えることです。今日、日本でこの映画を上映するのも真実を伝えるためであり、この出来事は中国共産党の迫害が続く限り、終わらないのです。

記者: 私の知る限り、長春の電波ジャックに参加した法輪功学習者は中共警察による拷問や虐待を受け、中には命を落とした人もいます。この重いテーマに取り組む中で、6年間のアニメ制作過程で、どのようにして内心の苦痛や精神的な圧迫を克服し、創作を完成させたのですか?
大雄: 創作過程でプレッシャーはありました。私たちの制作チームは4人しかいない小さなチームです。日本のアニメ制作チームは通常、数十人から百人以上で、資金も十分にあります。アメリカのハリウッドやディズニーも同様です。しかし、私たちは小さなチームです。技術的な困難だけでなく、文化の違いもありました。チームの4人のうち、私だけが中国での生活経験があり、他のメンバーはカナダ人です。これは創作上の困難の一つでした。私はプロの画家であり、技術的な困難は克服できます。心理的なプレッシャーについては、常に悲しみを抱えて仕事をしているわけではありません。仕事は仕事であり、創作に集中していました。電波ジャック事件から自分を切り離し、創作に集中することで、感情を表現しました。

記者: あなたに対する中国のメディアの報道を読みました。早くも2003年に、中国のメディア、特に青島早報の報道で、あなたが中国北派漫画の代表とされ、『戯画聊斎』シリーズが北派漫画の創始作とされています。どのようにして漫画創作の道に進んだのですか?
大雄: 1999年以前、私は新聞記者で、中国の新聞社に勤務していました。当時、私は若く、スター記者でした。1999年に中共による法輪功の迫害が始まり、ニュースメディアが中共の宣伝機関として使われるようになり、私が記事を発表することが許されなくなりました。私は法輪功学習者だったからです。また、中共の宣伝の影響で、同僚や友人たちは法輪功学習者を愚かで迷信的な人々と見なしていました。民主国家では信仰について話すことは普通ですが、中国では信仰を持つ人は笑われ、軽蔑されることがあります。私はそれが間違っていると感じました。法輪功学習者として、私は仕事をしっかりとこなし、人生を充実させることを求められています。自分の才能と能力を示すことで、私は(法輪功に)騙されていないことを証明しようと決意しました。
 以前は漫画を描くのが職業ではありませんでしたが、1999年から自分のスタジオを立ち上げ、『戯画聊斎』などの作品を制作しました。その結果、漫画界で一躍有名になり、中国の漫画大会で優勝しました。中国各地のメディアが私の業績を報じました。私は北方出身なので、メディアは私を北派漫画の創始者と呼びました。漫画は新興のアートであり、日本の漫画の影響を受け、1990年代初頭に(日本の漫画が)中国に入りました。それ以前は中国には連環画がありましたが、漫画を描く人々は1990年代以降に登場しました。私はその一世代の一員であり、その後、多くの人々が漫画創作に取り組むようになりました。

(つづく)

(翻訳・吉原木子)