唐の「簪花仕女図」(一部)(パブリック・ドメイン)

 唐王朝期の中期から後期にかけて、氏族は分裂していました。淮西地区を占拠した氏族は傲慢で頑固で、朝廷の支配に服従しないだけでなく、当地の反乱軍を排除するという口実で、しばしば朝廷を脅し恐喝しました。朝廷の勢力が弱かったため、彼らの理不尽な要求に応じるしかなく、結局、その氏族に対する寛大さが、やがては悪を助長することになったのです。
 しかし同じ頃、朝廷に忠誠を誓う李光顔(り・こうがん、762年-826年)という将軍がいて、朝廷から派遣され、淮西地区の反乱軍を排除しました。淮西地区を占拠する氏族は、公然と李光顔の反乱軍排除に反対することはできませんが、もし本当に反乱軍が退治されれば、氏族は朝廷を脅かす口実がなくなってしまうのです。 
 では、どうすればいいのでしょうか。そこで、氏族はある方法を考えました。彼らは大梁城②で念入りに美女を探し、歌舞の芸を学ばせ、何百万銀も使って豪華な衣装を着飾らせ、使者を遣わし、この美女を李光顔に贈ろうとしました。李光顔が色欲に溺れ、反乱軍排除を考えなくなり、その結果、反乱軍が引き続き朝廷を脅かすことができるのを期待したのです。
 氏族の使者が李光顔の兵舎にやってきて、「将軍が過労にならないように、余暇にもてなす美女をご用意しましたので、ぜひお受けください」と言いました。
 李光顔はすぐさまその使者の本当の意図を理解し「今日はもう遅いので、明日またお越しください」と言いました。
 
 翌日、李光顔は配下の将兵を集めて盛大な宴会を開き、使者を招いてその美女を送ってもらいました。
 華やかな衣装に身を包んだこの美女が李光顔の兵舎に入ると、その素晴らしい容姿と天人のような立ち居振る舞いに、将兵たちは皆感嘆の声を上げました。ところが、李光顔は一切動じなかったのです。
 李光顔は使者に、「あなた方は、長い間家族と離れる私のことを思いやり、美女を送りたいのですね。非常に感謝しています。しかし、天子の私に対するその恵みは山よりも重く、私は反乱軍を排除することを誓っています。今この瞬間、配下にある何万人もの将兵が家族と離れ、命を惜しまず敵と戦っているのです。どうして私一人だけ美女を楽しむことができるでしょうか?」と言った途端、李光顔は涙を流しました。
 その場にいた数万人の将兵も、将軍の心からの言葉を聞いて涙を流したのです。
 そして、李光顔は使者にお礼として、たくさんの縑帛③を贈り、宴会の後、使者にその美女を連れて一緒に帰るように頼みました。以来、李光顔の配下の将兵は皆団結し、李光顔と共に戦う忠誠心が一層高まったのです。
 
 色欲に恬淡な人だからこそ、周囲から賞賛され、尊敬されることができ、そして本当に偉大なことを成し遂げることができるのです。
 
出典:『続世説・巻一<徳行>』

注:
①淮西(わいせい)は、中国の地方行政区の名前。唐王朝期、現在の安徽省の中央部、湖北省の南東部、河南省の南東部に相当。
②大梁城(たいりょうじょう)は、現在の河南省開封市の西北に位置。南北朝時代以降、開封は通称「大梁」と呼ばれる。
③縑帛(けんぱく)とは、かとりぎぬ。「縑」は絹の細密なもので、「帛」は白地の絹の厚手なもの。

(翻訳・清水さきり)