この世の真の賢者は、海のような広い心を持ち、世の中のすべてを受け入れることができます。度量が広く、並外れた強い意志を持つ人は皆、ずば抜けた知恵と精神力を持っています。世の中には心が狭く、視野が狭い人も少なくありませんが、真に大きな事業を成し遂げ、偉大な功績を残した人は、広く寛大な心を必要としました。
心の容量とは
ある在家(ざいけ)の修行をしている居士が寺の禅師に「同じ心なのに、なぜ心の容量に大きさの違いがあるのですか?」と尋ねました。
禅師は彼の質問に直接答えず、ただ居士に「目を閉じて、静かに城壁を築いてください」と言いました。居士は目を閉じて瞑想し、心の中に城壁を思い浮かべると「城壁ができました」と言いました。
すると禅師は「もう一度目を閉じて、静かにうぶ毛を一本作ってください」と言いました。居士は再び自分の心の中にうぶ毛を思い浮かべ、禅師に「うぶ毛を一本作りました」と言いました。
禅師は居士に「城壁を造るとき、あなた一人の心だけを使って築いたのですか?それとも他の人の心を借りて一緒に築いたのですか?」と聞きました。居士は「私一人の心だけで築きました」と答えると、禅師はまたしても「あなたがうぶ毛を作った時、あなたの全部の心を使って作りましたか、それとも一部分の心を使って作ったのですか?」と聞きました。居士は「全部の心を使って作りました」と答えました。
それを聞いて禅師は笑いながらこう言いました。
「大きな城壁を造るときは、心を一つだけ使います。一本のとても小さな毛を作るのも、やはり一つの心を使います。このことから分かるように、心の容量は大きくも小さくもなれるのですよ!」
韓信の心
漢の時代の韓信(かん・しん)は「股くぐりの辱め」を受けたことがありました。ある日、若い肉屋が公衆の面前で韓信を侮辱しました。その肉屋は「お前は体がでかくて刀剣を身につけているが、内心はびくびくしているんだろ」「死を恐れないなら剣で俺を斬り殺してみろ。死が怖いのなら俺の股下をくぐってから行け」と言いました。
韓信はしばらくその若者を注視していましたが、ゆっくりと身をかがめ、彼の股下を這い出しました。道行く人々は韓信を臆病者と思い嘲笑しました。
その後、韓信は劉邦の大将軍として任命され、常に兵を率いて戦いに赴き、突撃をかけて敵陣を陥れ、生命の危険を冒しながらも大きな戦功を残しました。これは決して彼が臆病者ではないことを物語っています。大きな忍耐と寛容な心で人と接する人物であったからこそ、大任をまかされ、国家の棟梁となったのです。
韓信は楚の国の王に封じられ、故郷に帰った後、以前に公衆の面前で自分を侮辱した肉屋を探し出しました。感心することに、韓信は肉屋を殺すどころか、楚の治安を守らせるために中尉(首都の公安の責任者)にしたのです。これは大きな志を抱く者だけができる大きな忍耐だといえるでしょう。
林則徐の志
清の時代の有名な大臣であった林則徐(りん・そくじょ)は、かつて自分の勤めている役所の中で次の対聯(ついれん)を書きました。
「海納百川有容乃大」(海は無数の川を受け入れるからこそあれだけの大きさをもっている)
「壁立千仞無欲則剛」(壁のような険しい崖が高く立っていても、欲望がなければ人は強い)
上の対句は、大海のように幅広くさまざまな異なる意見を聞き入れ、寛容になることで仕事を成し遂げ、必勝の優勢に立つことができるのだと自らを戒めています。さらに下の対句で、官吏になるためには私欲を必ず排除する固い決意をしなければならず、そうすることで大山のように強くて真正直で、世の中で堂々としていられるのだと自らを励ましています。林則徐が提唱したこの精神は世の人を敬服させ、後世の人のお手本となっています。
寛容な心で人に接することは美徳であり、他人を許容し、寛容であることによってのみ、人は偉大なことを達成することができます。また、大いなる忍耐をすることによってのみ、器の大きな人物になれるのです。心が広い人は常に自分の足りない面を反省しますが、他人の過ちを咎めたりしません。そのためこの世で多くの徳を積むことができ、心性も非常に高いレベルに達することができるのです。
(文・貫明/翻訳・夜香木)