今年の4月4日は中国の清明節で、多くの人々が中国共産党(以下、中共)の前首相である李克強の故郷を訪れ、彼への記念の意を表しました。

 中国人独立系時事評論家の蔡慎坤氏はSNSに、「安徽省合肥市(ごうひし)の市民が清明節に李克強を追悼している。わずか2日間で、約300万人が合肥市庐陽区(ろようく)の紅星路(こうせいろ)を訪れ、花を捧げた。地面には紙くず一つなく、合肥のタクシー運転手は紅星路へ向かう乗客を無料で運び、すべての花屋は白いバラと菊を原価で提供し、スーパーマーケットのオーナーは箱ごとのミネラルウォーターを道端に置き、通行人は自主的にQRコードをスキャンして水を受け取った。合肥に住む数人の若い友人は、仕事終わりに地下鉄駅でボランティアガイドを務めていた。合肥の人々は、この地元出身の人物に対して、最大の敬意を表した。これは中国の歴史上稀に見る自発的な公的な追悼活動だ」と投稿しました。

 蔡慎坤氏は別の長文で、中共共青団派の象徴的人物である李克強についてコメントし、彼は元々ある種の悲劇的な傾向を帯びており、首相としての10年間は非常に無力で、政治的には何の功績もなく、経済的には窮地に立たされていたと述べました。

 「通りの兄ちゃんや隣家の兄弟のように見えるこの首相は、辞任直後に突然死亡し、それは息をのむような政治環境で、誰もが無力感を感じ、いつ自分も同様の運命に直面するかもしれない。涙は安くない、人々が李克強を記念するのは、失われた時代を悼むとともに、現実の政治への不満を表現するためだ」と蔡慎坤氏は述べました。

 李克強の口数少ない素朴な言葉は、人々に深い印象を残しました。例えば、「国家は人民で構成されており、人民が良ければ国家も良い」、「全国には月収1000元未満の人が6億人もいる」、「農民が大きな病気に直面したとき、自分で耐えるのは難しい、健康がなければ幸せもない」などです。辞任の数日前、李克強は国務院の職員に別れを告げる際、「人が行動し、天が見ている、天には目がある」という意味深長な言葉を残しました。

 一方、4月2日にはSNSで、安徽省宿州市(しゅくしゅうし)の汴河大橋(べんかおおばし)に10メートルごとに警官が配置され、市民が清明節の期間中に李克強を悼むのを防ぐという情報が流れました。

(翻訳・吉原木子)