「化干戈為玉帛」という中国の熟語をご存知でしょうか?これは「戦争をやめて親善を図る」ことを譬える熟語です。この中の「干戈(かんか)」は戦争や揉め事を象徴する武器のことを指し、「玉帛(ぎょくはく)」は国際間の贈答品として用いられた玉器と絹織物のことを指します。
「干戈」を「玉帛」に為すという不思議な力。揉め事や争いがある時、その争いを平和に変えられるという不思議な力があります。この力は、古代ではほとんどの人が学び、身につけなければならなかったスキルでしたが、現代人の考え方では理解できないことがよくあります。なぜ現代人は「化干戈為玉帛」という能力を持てなくなってしまったのでしょうか?
まずは「化干戈為玉帛」という熟語の裏にある物語を見てみましょう。
夏の部落の首領である鯀(こん)は、自分の身を守るために高さ3仞(じん、約8メートル) の城塞を築き、部落の財産をすべて自分のものにしていました。これのせいか、鯀は周りの人たちの心を失い、彼から皆んなが離れたくなる一方、他の部落は夏の部落を虎視眈々(こしたんたん)と狙っていました。この状況に気付いた新首領・禹(う)は、城壁を破壊し、堀を埋め立て、財産を皆に分配し、武器を破壊し、民に道徳を教えました。こうすると、民たちは自分の義務を果たすようになり、他の部落も夏の部落に喜んで帰順していきました。禹が塗山で首領会議を開いたとき、翡翠と絹の宝物を献上しに来た首領が数万人にのぼったと言われています。(註)
その後、戦争を平和に変えること、あるいは揉め事を仲良しに変えることを表現する「化干戈為玉帛」という熟語が誕生しました。
鯀は高くそびえる城塞を建設し、莫大な富を蓄えながらも、なぜ国家の平和と繁栄を達成できなかっただけでなく、戦争を招く寸前にまでなったのでしょうか?そしてなぜ、禹が城壁を破壊し、堀を埋め、財産を皆に分配し、武器を破壊し、道徳を使って人々を教えると、国内外の人々や各国の首領たちの心からの尊敬と忠誠を勝ち得たのでしょうか?両者の間にはなぜ、このような大きな違いがあるのでしょうか?
次の物語は、この不思議に思える逸話を理解するのに役立つかもしれません。
皇帝の舜(しゅん)は、南方を巡狩する中、武器を持っていた苗民(びょうみん、ミャオ族の人)たちに包囲され、危機的な状況となってしまいました。舜帝は武力を使わず、天道の仁徳に合う雅楽(ががく)の演奏を命じました。すると、鳳凰が飛来して姿を現し、百鳥が鳳凰について囀り、苗民たちも音楽に合わせて武器を捨てて、睦まじく踊り始め、一触即発な戦争が一瞬にして平和に変わりました。その後、ミャオ族は舜に臣服し、舜の道徳によって感化され、好戦的な民俗を捨てました。
この話から見ると、天道の仁徳に合わせることができれば神々と交信し、正念が生じることができます。これこそが人々の行動を教化し、人心を本来の善に立ち返らせるようにすることができるのです。この正念が生ずれば、争う心が自ずとなくなり「化干戈為玉帛」ということも難しくありません。
多くの現代人が受けている無神論的な教育は、人間の欲望への執着を絶えず増幅させ、争いの間に道徳の修養を損なっているのです。そのため、今世界で頻繁に起こる戦争や災難は、多くの人々が神に背き、尊敬しないという事実と密接に関係しているのです。
一方、欲望や執着を抑える古代の人々は、道徳に合う行動をとれるため、常に正念が生じ、神のような力を発揮し、揉め事や争いを平和に変えることができました。これこそが「化干戈為玉帛」の本当の意味なのではないでしょうか。
こうして見ると、神が人間に授けた文化は、まさに人類が危機に陥った時に互いを救い、真の幸福と平和を得させ、人々の道徳の伝承を守らせるための文化なのですね。
註:
中国語原文:昔者夏鯀作三仞之城,諸侯背之,海外有狡心。禹知天下之叛也,乃壞城平池,散財物,焚甲兵,施之以德,海外賓伏,四夷納職,合諸侯於塗山,執玉帛者萬國。(『淮南子・原道訓』より)
(文・源馨/翻訳・宴楽)