中国の北西部にある黄土高原(こうどこうげん)は、中国を流れる黄河の上流および中流域に広がるおよそ40万平方kmから64万平方kmの広さの大高原です。一帯の地形は無数の水流が削ったため、溝だらけのような状態(「千溝万壑(せんこうばんがく)」)になっていて、その風景はとても壮観です。
黄土高原の表土である沈泥(ちんでい)は、柔らかく、非常に多孔質であるため、簡単に掘り抜くことができます。1964年時点では、約1千万人の人々が崖や地面に掘った穴を住居として利用していました。この洞穴式の住宅は「窯洞(ヤオトン)」と呼ばれています。
古都・西安のシンボルである「大雁塔(だいがんとう)」の近くにある「五典坡」という村の西には、このような古い窯洞があり、「古寒窯」と標示されています。言い伝えによれば、かの「王宝釧」はこの「古寒窯」を住家として、夫の「薛仁貴」を18年間待ち続けていたそうです。貧困と孤独に直面しながら、王宝釧の忠誠と献身が逸話として、中国で数世紀にもわたって語り継がれてきました。
今日は、その王宝釧と薛仁貴の物語をご紹介します。
「王宝釧」は、実在する人物ではないらしく、その原型について様々な説がありますが、「唐王朝期の名将である薛仁貴の妻・柳銀環(または金花、英還、迎春)」の説が有力だそうです。
王宝釧は裕福な家庭に生まれたお嬢様でした。彼女は小さい頃から賢くて分別があり、両親に心から尽くしてきました。嫁ぐ年になると、宝釧の父は、色とりどりの絹で飾られた高台に宝釧を立たせ、色鮮やかな手毬を宝釧に渡し、好きな男性に手毬を投げる「抛繡球」の催しを開催しました。
王宝釧は、その美貌と美徳をもって、町中で名を馳せていました。大人気の美女が婿取りをする「抛繡球」を開催すると聞いて、町中だけでなく、町外からも大勢のお坊ちゃんが駆けつけました。宝釧の両親も緊張していたところ、宝釧は並み居る貴族の御曹司をものともせず、貧しそうで目立たない若者「薛仁貴」に狙いをつけて、手毬を投げました――。
ある日、宝釧は薛仁貴と偶然に出会いました。薛仁貴の並々ならぬ才能と高貴なる気品が、宝釧の心に刻みこまれました。白い木綿の服しか着られない貧乏な薛仁貴は、優秀な武芸、類まれな人徳を持つ寛大な紳士であり、人生を託したい相手だと、宝釧は思いました。
――宝釧の手毬を受け取った薛仁貴でしたが、宝釧の気持ちにとても嬉しい一方で、貧しい自分に宝釧のようなお嬢様が嫁いでくるわけがないと、悲しい気持ちでした。
その同時に、手毬の行先が貧相でみすぼらしい男であることに激怒したのは、宝釧の父でした。王家に恥をかかせまいと、宝釧の父は宝釧と薛仁貴の結婚を断固として認めませんでした。しかし、宝釧も少しも譲歩もしようとせず、薛仁貴に嫁ぐことを決意しました。宝釧の父は激怒の中、宝釧を勘当して、若い夫婦を王家から追い出しました。
宝釧は、裕福な家庭を後にして、薛仁貴が住む「窯洞」で質素で静かな新婚生活を始めました。
薛仁貴の祖先は、北魏の名将・薛安都でした。名将の後裔でしたが、薛仁貴は幼いころに父を亡くしたので、一家は荒廃し、町の西の郊外で農業を営みながら、窯洞で暮らしていました。しかし、薛仁貴は高い志を持ち、文武両道に長け、生まれつきの力強さで武芸を研鑽していました。
二人が洞窟を住居として暮らしていた頃、祖国は、周辺からの侵略の危機にさらされていました。皇帝が優れた将軍を求めていると聞いた時、新妻である宝釧は、大志を持つ我が夫に将としての才能を見出しました。努力を無駄にせず、大志を叶えるために、都城に行って軍に入る試験を受け、出仕して祖国を護るようにと、仁貴を励ましつづけました。大義をよく弁えている宝釧は、妻を見捨てられない夫の仁貴を勇気づけ、都城まで送り出しました。
仁貴は、優秀な成績で試験に合格し、軍隊に入り戦場に行きました。白い木綿の服を着た薛仁貴は、方天画戟(ほうてんがげき)を手に持ち、大きな弓を腰にかけて、たった一人で数十万の軍勢と戦い、向かうところ敵なしの無双の名将となりました。唐の太宗は、薛仁貴を配下に収めて、漢の武帝が霍去病を発掘できたと同じように喜びました。
一方、新妻の宝釧は一人で、寒い窯洞の中で夫を待ち続けていました。最初のころは、たまに夫に関する話が耳に入ってきましたが、だんだんと、消息が途絶えてしまいました。厳しい寒さの中で一人で震えた日々がありました。こっそり食べ物とお金を持って、実家に帰って来るようにと説得しに母が何度も訪れました。それでも、宝釧は全く動揺せず、夫の帰りを強く信じて、待ち続けて、気づけば、18年も経ちました。
そんなある日、雪が降りました。宝釧はいつものように支度をしていたら、仁貴が帰ってきました。あの白い木綿の服しか着られない貧乏な薛仁貴が、大将軍の姿になって、寒い窯洞に帰ってきました。宝釧の忠誠と献身がやっと実り、夫との再会を果たすことができました――。
王宝釧と薛仁貴の物語は、言い伝えから演劇や歌曲になり、様々な形で語り継がれてきました。無私で、勇気があり、忍耐強く、忠実な王宝釧は、伝統的な中国女性の美徳をすべて体現しています。
2018年、神韻芸術団は、王宝釧と薛仁貴の物語を『寒窯(新妻の献身)』の題名で、中国古典舞踊劇として舞台に取り上げ、世界巡回公演で上演し、世界中の観客に感動を与えました。
そして、今年も、神韻芸術団は日本で公演を開催します。2023年12月22日から2024年2月16日まで、名古屋、東京(渋谷)、京都、さいたま、堺、大阪、鎌倉、東京(八王子)、東京(文京)、札幌、神戸、福岡の12カ所で公演を行います。神韻でしか観られない舞踊と生演奏のオーケストラの饗宴という特別な体験を、劇場でお楽しみください。
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(翻訳編集・常夏)