李克強の死後、その死因は広く疑問視され、多くの人々は彼が「心臓発作」で亡くなったと信じていません。近年、中国共産党の高官や企業家の不審な突然死亡事件が増えています。

 大紀元の報道によると、中国共産党第20回全国代表大会の後、習近平3期目の人事配置で、中央政法委員会書記の陳文清(ちんぶんせい)と公安部部長の王小洪(おうしょうこう)が中央委員会に加わり、7人のメンバーの中で1人の警察官と1人のスパイ(秘密工作員)出身の官僚が登場し、これは、中国共産党が警察およびスパイに支配され始めたことを示唆しています。

 中国公安大学の元講師で、現在は米国在住の弁護士である高光俊(こうこうしゅん)はこのほど、新唐人テレビの「菁英論壇(エリートフォーラム)」番組で、習近平がスパイによる支配をさらに一歩進めたと明かしました。高光俊は「2018年頃、習近平は中央軍事委員会行動局という特別部門を設立した。この行動局の唯一の任務は、暗殺と誘拐だ。この行動局は中国共産党内の官僚を怯えさせ、恐怖を感じさせた」と述べました。

 高光俊は、第20回全国代表大会で胡錦濤が無理やり引きずり出された際、李克強が自分の出世の恩人である胡錦濤を見る度胸も勇気もなかったと例を挙げました。この恐怖は、習近平が意図的に作り出した雰囲気で、誰もが習に挑戦することを恐れるようになっています。

 高光俊は中国公安大学で教鞭を執っていた期間中、王小洪が同大学で学習していた際、高光俊は彼の刑事特別工作員の教師でした。また、陳文清は高光俊の後輩でした。

 高光俊は、「習近平政権になってから、中国共産党幹部の突然死の割合は、文化大革命以外の時代で最も高くなっている。企業家や有名人の突然死の割合も、鄧小平や胡錦濤・温家宝の時代よりもはるかに高い」と指摘しました。

中国共産党の太子党と幹部の不審な死亡事件
 中国共産党の元帥(げんすい)である陳毅(ちんき、1901-1972)の息子、71歳の陳小魯(ちんしょうろ)は2018年2月28日、海南省で心臓発作により急死しました。複数のメディアは、陳小魯の身体と精神的な健康状態が良好であると報じ、突然気を失い、海南省の中国人民解放軍301医院海南三亜分院に搬送されたが、救命措置が効かずに亡くなったと伝えています。これは李克強の死と非常に類似しています。

 陳小魯は太子党の中でかなりの影響力を持っており、かつて文化大革命時代に教師を批判し侮辱したことを謝罪する公開書簡を発表したことがありました。陳小魯の親友が内々に語ったところによると、ある晩の食事会である人物が陳小魯に対して、習近平はおそらく薄熙来よりも左翼的かもしれないと言ったところ、陳小魯は、中国はもはや再び混乱に耐えられないとし、もし本当に古いやり方に戻るのなら、1期だけで交代すればといった。ところが、陳小魯の言葉が習近平の耳に届き、それからわずか1週間も経たないうちに、陳小魯は海南省で急死しました。

 前上海市長の楊雄が2021年4月12日の未明、心臓発作で急死しました。当時、楊雄は友人によって近くの華山病院に搬送されました。しかし、医師は彼(楊雄)が重要な人物であることのみを告げられ、官職も知らされず、高級幹部が持つ「レッドカード(特別待遇を受けられるカード)」も提示しなかったため、特別扱いされなかったと言われています。楊雄の死も李克強の死と多くの類似点があり、心臓発作による急死で、年齢も68歳でした。当時、楊雄の死因も外部から疑問視されましたが、静かに葬儀が行われた後、真相は未解決のまま、詳細を明らかにされませんでした。

 楊雄は江澤民の長男、江綿恒(こうめんこう)の腹心でした。楊雄は2012年の中国共産党第18回全国代表大会で異例の措置で上海市代理市長任命され、翌年に市長に就任しました。当時、習近平は自分の信頼できる人物を上海市長に指名する意向だったという情報も流れましたが、江綿恒の介入により、その計画は中止されたと言われています。

 中国共産党の元財政部長である金人慶(きんじんけい)は2021年8月27日、自宅のバルコニーで火災が発生し、重傷を負って病院に運ばれたものの回復せず、77歳で亡くなりました。情報筋によると、金人慶の妻が10日前に亡くなり、金人慶はその日の深夜に妻を追悼して冥銭(めいせん)を燃やしていた際に火災が発生したといいます。金人慶自身が車椅子を使用していたため、火災が発生した際に自力で避けることができなかったとされています。不思議なことに、公式の新華社は金人慶の死亡の報道を遅らせました。

 中国公式メディアは2023年7月、中国共産党中央警衛局の元局長である王少軍が「病気が治らず」2023年4月26日に死亡したと発表しました。中国当局は王少軍の死をほぼ3か月間にわたって秘密にしており、外部からは死因が怪しい、背後に不審な要因があるとの指摘があります。時事評論家の石穿雲(せきせんうん)は、王少軍が権力闘争に巻き込まれ、習近平によって暗殺された可能性があると述べました。

謎めいた死を遂げたビジネス界の有名人
 ビジネス界の成功者の中には、死因について疑念の声が広がった例も多く存在します。いくつかの代表的な例を挙げてみましょう。

 海南省海口市を本拠地とするコングロマリット「海航集団(HNAグループ)」の創業者である57歳の王健は2018年7月4日、フランスで公務視察の際に写真を撮っている最中、壁から転落して死亡しました。外部からは、王健が「投げ落とされた」のではないかと広く疑われています。
中国先峰金融グループの事実上の支配人である張振新は2019年9月18日、英国ロンドンのチェルシー・アンド・ウェストミンスター病院で亡くなりました。公式には、多臓器不全、アルコール依存症、急性膵炎で救命措置が効かずに亡くなったと発表されましたが、張振新はまだ48歳で、彼の体調がそこまで悪かったのかと疑念の声が上がっています。

 中国のシャドーバンキング(影の銀行)大手、中植企業グループの創業者である解直錕(シェ・ジークン)は2021年12月18日、心臓発作で急死し、享年61歳でした。しかし、噂によると、解直鍵はヨガルームで死亡し、ヨガロープで首を絞められた状態で発見されたと言われています。自殺とする説もあり、殺害されたとする説もあります。

中国共産党の秘密諜報組織
 実際、特務政治(スパイ政治)は中国共産党の歴史全体にわたって広く存在しています。周恩来は最初に旧ソ連国家保安委員会(KGB)の訓練を受けた人物の一人で、その後、上海で特務工作課を結成し、暗殺や誘拐などの活動を行っていました。彼らの標的は国民党の要人だけでなく、共産党内部の誘拐や暗殺も含まれていました。

 1931年5月、中国共産党の初期の指導者の一人で、秘密諜報組織である中央委員会特別工作部の部長、顧順章が国民政府に投降したため、当時中央軍事部長だった周恩来は、上海で特務工作課を指示して、中国共産党を裏切った顧順章一家とその家にいた19人全員を殺害しました。遺体はその場で埋められ、痕跡を消しました。

 中国共産党の党内闘争のため、もう一人の指導者である張国燾(ちょうこくとう)に対する暗殺計画も実行されましたが、失敗に終わりました。最終的に、張国燾はカナダに逃亡しました。

 高光俊は、「習近平が旧ソ連共産党を最も憧れ、最も模倣したいと考え、その中で最も見習いたいのは暗殺と誘拐だ。そのため、習は政権に就いてから、『中央軍事委員会行動局』という機関を改編したのだ」と述べました。また、組織改革では「統合作戦指揮センター」が設立され、習近平中央軍事委員会主席がこの総指揮(司令官に相当)に就任しています。

(翻訳・藍彧)