前漢の銅制陽燧(Wikimedia Commons/三猎 CC BY-SA 4.0

 もし火がなければ、人々はどんな問題に直面するのでしょうか。肉が焼けないだけではなく、金属を製錬できず、武器も作れません。火がないと、多くの工業はマヒしてしまいます。

3000年前から使われていた集光原理

 3000年以上前の周王朝の時代には、“左に金燧を付け、右に木燧を付ける”という言い方がありました。これは、晴れた日には金属製の金燧で火を起こし、曇った日には木燧を使って火を起こすという意味です。金燧はすなわち陽燧であり、金属製の鏡のようなものです。一方木燧は木でできた火起こし機のことです。

 陽燧は2種類あると言われています。一つは、金属製のとがったグラス型のもので、太陽の光をコップのとがった底の部分に集め、その下においた可燃物に火をつけます。もう一つは、銅でできた凹面鏡のようなもので、太陽光を反射し、鏡の焦点に光を集めて可燃物を燃やすという原理です。

 3000年前の周王朝の人々はすでに光を集めることや、レンズの性質に関する知識を持っていたとわかります。レンズの性質に関する応用は現代科学でも幅広く応用されており、航空宇宙技術でも太陽エネルギーやレンズの性質が利用されています。そのため、レンズの性質は中国の四大発明に次ぐ第5の発明ともいわれています。

マッチの元祖―発燭

 陽燧以外にも火を灯す方法はあります。魏晋時代には「石火」を用い、鉄片を石にぶつけて生じた火の粉で、その下の可燃物を燃やしていました。可燃物の素材は、干し草や紙が多いのですが、硝水による処理が施されているため火に触れるとすぐ燃えます。

 後に発燭が現れました。発燭は松の木と杉を薄く削って上端に硫黄をつけたものです。清朝のことには、皮をむいたごまの枝で細い棒を作り、上端に硫黄を塗っていました。これは今日のマッチに近く、マッチの元祖だと言われています。

燃えているマッチ(Fotolia)

(文・宋宝藍/翻訳・武田道也)