人類の初期の歴史において、「エジプトのナイル川流域」「イラクのメソポタミア川流域」「インドのガンジス川流域」と「中国の黄河流域」の四つの文明発祥の地がありました。この四つの発祥の地はそれぞれ、同等の輝かしい古代文明を生み出しました。しかし、今日まで続くことができたのは、中国の古代文明だけでした。その重要な理由の一つは、中国が世界で最初に「製紙技術」を改良した国だからと考えられます。
製紙技術が出現する前、人類は、口頭伝承、結縄(けつじょう)、石板、粘土板、金属(青銅器など)、植物(樹皮、木の葉、草の葉、木片、竹切れなど)、動物(羊革、牛革、亀甲、蚕糸)など、様々な方法や媒体で文明の記録をしてきました。
しかし、これらの方法は、「保存が難しいこと」「高価であること」「かさばりすぎる」という三つの困難に直面しています。そのため、これらの方法は、文化の普及と交流を厳しく制限しました。文化は一部の人々の特権となり、全社会に普及することが難しくなりました。
文明の媒体の脆弱性は、文明そのもの脆弱性を決めます。文明の媒体を破壊することは、文明そのものを破壊することになります。例えば、三星堆(さんせいたい)文明①が消滅した主な原因は、三星堆文明の成果の記録された青銅器が全て外敵に破壊されたからであり、かつての栄光に満ちた三星堆文明はこれで終焉を迎えました。
したがって、上記の媒体によって構築された文明は、破壊による中断がたやすくなります。これは、エジプト、イラク、インドの古代文明だけでなく、さらにその後の古代ギリシャ文明やローマ文明にも現れた現象です。
一方、「紙」は軽量で、持ち運びと受け渡しが便利です。「紙」はお手頃で、流布(るふ)と普及が容易です。製紙技術の発明後、この二つの利点により、紙は上記のすべての記録媒体を超え、文明と文化の最適な「お手伝いさん」となりました。
そのため、紙が中国で登場してから、中国の歴史において、戦争や自然災害は珍しくありませんが、あらゆる災害も、古代中国文明の存続に致命的な影響を与えることはありませんでした。これは、中国文明が今日まで続いている原因の一つです。
アジアにおける紙の普及により、東アジアの儒教文化圏が形成されました。紙は西アジアに導入された後、中世の強力なアラブ帝国が形成されました。紙はヨーロッパに伝わり、ルネサンスの「助産師」となりました。
紙は文明と文化の「お手伝いさん」となっただけでなく、人間の生活のための商品やさまざまな道具にもなりました。さらに重要なことは、紙幣が出現し、金属通貨に取って代わり、現代の社会金融体系の形成を促進したのです。
フランスの作家バルザック氏は、『人間喜劇』の小説の中で、一人のフランス人の青年について詳しく言及しています。青年は、製紙技術を探るためにさまざまな実験をしましたが、最終的にすべて失敗しました②。この青年の原型はバルザック氏本人なのです。バルザック氏は若い頃、製紙工場の経営に失敗し多額の借金を負ったので、生計を立てるために作家を生業にしなければなりませんでした。
バルザック氏が製紙工場の設立に失敗した直後、フランスの財務大臣は、当時フランスにいた清王朝からの二人の留学生と面会しました。大臣は、国で資金を提供し、中国の製紙技術を導入してほしいと、二人の留学生に意向を表明しました。数年後、この二人の留学生は、「大判紙パルプ化技術」などのキーテクノロジーをはじめとする中国の製紙技術を丸ごとフランスに導入しました。
以来、ヨーロッパはこれらの重要な技術を習得し、産業革命による大量生産の需要と相まって、製紙技術は急速に空前のレベルに達しました。中国から学んだ製紙技術の原理は、今日でもヨーロッパの最も先進的な製紙工場で最先端の道具として活用されています。
また、紙を作るために使用される材料のほとんどが「家庭廃棄物」であることもわかります。中国安徽省の宣州(宣城、現在の涇県)で産出し、「最上級の紙」と呼ばれる宣紙(せんし、日本では「画仙紙」)は、地元に自生する「青檀」の樹皮を主原料に、「藁(稲わら・麦わら)」を加えて作られています。
筆者は大学時代、社会調査のため浙江省温州市に何度も行きました。ある日、筆者は南雁蕩山(なんがんとうざん)へ行って、山腹にある女道士の庵に泊まりました。その山の麓に流れている小川の横に水車が設置されており、いつも水車の音が聞こえてきました。山に住む女道士と山の向こう側に住む道士たちは、この水車とわらを使って、生活に必要な紙を作っていました。筆者が帰るとき、女道士たちが特別に自分たちで作った紙をたくさん筆者に贈ってくれて、「こんな良い紙は大都市では決して手に入らないよ」とも言いました。
古代中国の製紙技術は、大量の木材パルプを使用せず、大量の水資源を消費せず、大量の汚染を引き起こすこともないのに、世界的に有名な極品の紙を生産することができました。
中国の製紙技術は至る所でその土地の文明の発展に飛躍をもたらしたとも言えるでしょう。人類の文明にとって、製紙技術の重要性を過大評価することはありません。製紙技術の本質的価値は、現在、そして将来にわたって、再認識されるべきなのです。
註
①三星堆文明とは、四川省成都盆地で発掘された殷・周と同じ時代の青銅器文化の遺跡「三星堆遺跡」で形成されたと推測される文明のこと。
②『人間喜劇<幻滅・発明家の苦悩(Les Souffrances de l’inventeur)>』より
(翻訳・宴楽)