旧暦八月十五日は、中国では「中秋節(ちゅうしゅうせつ)」であり、日本で言う「中秋の名月」を愛でる日です。今年の中秋節は9月29日(金)です。月が最も美しく見えるこの日にちなんで、『太平広記』に記載されている、こんなお話にお付き合い頂きましょう。
唐の文宗の治世、太和時代、「周生」という人が江蘇省の洞庭山の中に家を建てて、一人の隠居生活をしていました。周生は常に、山のふもとの呉楚地域の貧しい人々に救いの手を差し伸べ、道術を用いて人々を助けたので、多くの人々から尊敬されました。
あるとき、周生は洛穀という地に行き、途中で広陵にある仏寺に暫く泊まりました。同時に、他の3、4人の観光客もそこに来ました。
ちょうどその日は中秋節の日です。その夜の天気は曇りなくとても晴れていて、夜空には月が高く輝いており、まさに中秋の名月を愛でる最高な景色でした。周生と観光客たちが集り、明るい月と澄んだ夜空を静かに眺める人もいれば、その美しい景色に感動して詩を詠み始める人もいました。皆が穏やかで心地よい中秋節の雰囲気を満喫しました。
この時、ある人が開元時代の唐の玄宗が月宮を訪ねる話をしました。この話を聞いた皆さんはため息をつき「私たち常人は、到底そのような場所には行けませんが、それも仕方ないでしょうね」と言いました。
これを聞いた周生は微笑んで「僕はかつて師からその方術も学びました。僕は月を摘み取って、腕に抱き、袖に入れることができます。皆さんは信じてくれますでしょうか?」と言いました。
この言葉が出た瞬間に、その場にいる人々は賛否両論でした。周生が嘘をついていると考える人もいれば、周生の言葉はとても面白いと考える人もいました。
周生は「皆さんに理解してもらわないと、僕は嘘をつくことになります」と言いました。
そこで周生は、まず、彼らに部屋を空けてもらい、部屋の四方の壁を隙間なくしっかり遮ぎました。そして、数百膳の箸を持ってきて、使用人たちにそれを縄で束ねてもらいました。
準備が完了すると、周生は観光客たちに「これから僕はこの箸で作ったはしごを登って、月を摘み取りに行きます。皆さんに呼びかけたら、来て見てください」と言って、部屋の扉を閉めました。
観光客たちは、しばらく周生を待ってから、中庭まで散歩しに行きました。歩いていると、急に周囲の景色が暗くなったように感じました。夜空を見上げても、空を覆う雲が見つかりませんでした。暗くなった理由が分からないまま、観光客たちは周生の呼びかけを待ち続けるしかありませんでした。
しばらくして、周生の「戻ってきましたよ」の呼び声が聞こえてきました。
観光客たちはその部屋に戻り、閉まっていた扉を開けると、そこに周生が待っていました。
周生は「僕の服の中に月があります。ぜひご覧ください」と言い、月を取り出して彼らの目の前に見せました。
目の前に現れたのは、一寸ぐらい(約3cm)の大きさの月でした。夜空から周生の手に移されても、光を放ち、部屋全体を照らしていました。
周生は「さっきは皆さんが半信半疑でしたが、今度は信じてくれましたでしょうか?」と言いました。
観光客たちは、周生が本当に月を摘み取ってくれるとは思わなかったので、すぐに周生を拝み、まばゆい月を早く元の位置に戻すよう頼みました。
そこで周生は全員に部屋の外に出てもらい、再び扉を閉めました。外は真っ暗で何も見えませんでしたが、しばらくすると明るくなってきました。皆が見上げると、夜空には何事もなかったように月が照らしていました。
いかがでしょうか。月を摘み取った道術の物語はここで終わります。この不思議な物語は怪奇小説集『宣室志』に収録され、『太平広記』にも収録されています。中秋節のこの日に、この奇妙の物語が、あなたの想像力の窓を開け、中秋の名月があなたの側にでも飛んで来てくれるといいですね!
出典:『太平広記・道術五<周生>』
(文・聞山/翻訳・宴楽)