唐・周昉「簪花仕女図」(パブリック・ドメイン)

 孔子「今日は『詩』を読みましたか?」
 孔鯉「まだです…。」
 孔子「『詩』を学ばなければ、人との話し方もわからないのです」
 
 これは『論語』に記されている、孔子と息子の孔鯉の会話です。孔鯉は父親の話を聞き、すぐに『詩』を読みに行きました。
 
 古代中国では、他の文学作品と比べて内容は短く、韻を踏んでいて読みやすいため、「詩」を最適な子供の教材として学ばせており、「詩」を学ぶことは学問の始まりでした。しかし、漢王朝期以前の「詩」は、私たちがよく知っている五節や七節の詩ではなく、『詩経』のことを指していました。
 『詩経』は、古代中国において非常に重要なものでした。『春秋左氏伝』には、春秋戦国時代の各国の大使たちが、朝廷や外交の場で、自分の意見を直接述べる代わりに、『詩経』の一節を詠い、自分の気持ちを婉曲に表現していたという内容が、数多く記されています。聞き手の方も『詩経』の一節を聞いただけで、話し手の本当の気持ちを理解することができたのです。だからこそ、孔子は「ある程度『詩経』を理解できなければ、相手の本心を理解できない」と言いました。これが古代中国における詩の素晴らしさの具現です。
 
 後漢末から東晋までの著名人の逸話やエピソードを集めた文言小説集『世説新語(せせつしんご)』の中で、東漢時代の儒学者の家に、詩の読み方や使い方を心得ていた侍女の話が記載されています。今回は、古代中国の侍女がどのよう『詩経』を用いて会話していたのかを見てみましょう!

『世説新語・文学』

 時の有名な儒学者・鄭玄(じょう・げん)は、五経博士であり、東漢の経学者です。彼の家には詩や礼儀を重んじる伝統があり、家僕はみな読書ができました。
 ある日、鄭玄は侍女にお使いを頼みましたが、その侍女は、お使いを完全に台無しにしてしまいました。鄭玄は侍女を叱責しようとしましたが、侍女がずっと言い訳をしていたので、鄭玄の怒りは更に増し、侍女を泥の中に立たせる事にしました。
 侍女が泥の中に立っていると、たまたま通りかかったもう一人の侍女が、泥の中にいる侍女を見て「胡為乎泥中?」と声掛けました。
 そして泥の中に立たされている侍女は「薄言往愬、逢彼之怒」と答えました。
 
 「胡為乎泥中?」とは、「どうして泥の中にいるのか?」の意味で、『詩経・邶風<式微>』からの一節です。そして、「薄言往愬、逢彼之怒」とは、「私は話かけたいと思ったけど、あいにく彼が怒っている時だった」の意味で、『詩経・邶風<柏舟>』からの一節です。
 実は、これらの詩は原詩の中でそれぞれの文脈と背景があります。侍女たちはこれらの一節を抜き出し、その場の対話の材料として使ったことで、これらの詩に新たな意味を付けました。これは「用詩(詩を使うこと)」の典型的な一例であり、古代中国でよく見られた社会的・文化的現象です。

 では、この2節の詩が、それぞれの原詩でどのように使われているかを見てみましょう。

「胡為乎泥中?」

式微式微!胡不歸?微君之故,胡為乎中露?
式微式微!胡不歸?微君之躬,胡為乎泥中
(『国風・邶風<式微>』)

 
 春秋時代、隣国である「黎」と「衛」の両国は、同盟国として支えあっていました。夷狄が黎国に侵入し、黎国の王が国境外まで追放されたとき、黎国の王は大臣たちを引き連れて衛国に避難してきました。衛国の王は黎国の王に2つの城を与えました。しかし、黎国の王が失われた土地を取り戻すつもりはなく、そのまま衛国で定住していました。これを見た同行の大臣たちは、次のように嘆いていたそうです。
 「衰えた、なんと衰えたことか!どうしてお帰りにならないのでしょうか?わが君のせいじゃなければ、なぜ私たちはまだ荒野の露の中にいるのか?
 衰えた、なんと衰えたことか!どうしてお帰りにならないのでしょうか?わが君のせいじゃなければ、なぜ私たちはまだ荒野の泥の中にいるのか?
 黎の大臣たちは、黎国の王に一刻も早く帰国するよう懸命に説得したため、このような切実な嘆願の詩が生まれました。

「薄言往愬,逢彼之怒」

汎彼柏舟,亦汎其流。耿耿不寐,如有隱憂。微我無酒,以敖以遊。
我心匪鑒,不可以茹。亦有兄弟,不可以據。薄言往愬,逢彼之怒
我心匪石,不可轉也。我心匪席,不可卷也。威儀棣棣,不可選也。
憂心悄悄,慍於群小。覯閔既多,受侮不少。靜言思之,寤辟有摽。
日居月諸,胡迭而微?心之憂矣,如匪澣衣。靜言思之,不能奮飛。
(『国風・邶風<柏舟>』)

 こちらの詩は春秋時代、悪党に排斥され、王にも疎まれた衛国の賢臣が、心からの悲しみを詩に詠んだものです。
 「柏の木で作った舟が使われることなく、虚しく川を漂う情景は『王から疎外されている』私の現状とそっくりじゃないのか。それゆえ、悲しみに暮れ、夜も眠れない。酒がないわけではないから、いささか飲んで、気がかりをごまかそうか。
 私の心は鏡と違い、善と悪を同時に受け入れることはできない。私はただ、それを変えようと望まず、善い徳を持ち続けたいと願うだけである。しかし、私のこの志は理解されない。私には兄と弟がいるが、彼らを頼ってはいけないとは知らず、彼らに心の内を話すと、怒られてしまった
 私の心は、石のように丸くならないため、軽々しく転ぶこともできない。筵(むしろ)のように柔らかくならないため、易々と巻き上がることもできない。私の心は揺るがなく、行いは正々堂々なので、誹(そし)られるはずがない。
 なのに、私は王に重用されなかっただけでなく、多くの悪党を怒らせて、あまりにも多くの苦難と屈辱を味わったのだ。夜の静寂の中、一人でこれらのことを考えると、悲しくなり手で胸を叩くと、その音が高く響いた。
 なぜ空で輝く太陽と月は次々と暗くなったのだろう?もしかして、国の政が天を怒らせたのだろうか?私の心の中の果てしない悲しみは、まだ洗濯されていない汚れた衣服のように、乱れた悲しみに満ちている。しかし、落ち着いてよく考えてみると、私は、高く飛び立つ鳥のように、母国を捨てて離れる事ができないと気付いたのだ」
 国の君に重用されず、悪党を怒らせ、家族にも理解されない賢臣は悲しみ尽くしましたが、どれだけ悲しんでも、この国を捨て去ることをしませんでした。愛国心溢れる賢臣の姿が如実に描かれました。
 
……
 
 川の流れのように、時代は春秋時代から東漢時代に変わりました。
 
 「あらまぁ、どうして泥の中で立ってるの?」
 「旦那様に頼まれたお使いを、うっかり台無しにしちゃったのよ。少しだけ愚痴を言いたかったんだけど、こんなに怒られるとは思ってなくて…。」
 
 東漢時代の儒学者の家の侍女は、日常の些細なことや、自分の気持ちを『詩経』からの一節で的確に表現しました。このように、『詩経』は古人の日常会話に織り込まれ、彼らの心の中で生き続けていたのです。
 

①中国語原文:曰:『學詩乎?』對曰:『未也。』『不學詩,無以言。』鯉退而學詩。(『論語・季氏』より)
②五経博士(ごきょうはかせ、ごきょうはくし)とは、古代中国の官職の一つ。儒家の経典である五経(詩・書・礼・易・春秋)を教学する学官。
③中国語原文:鄭玄家奴婢皆讀書。嘗使一婢,不稱旨,將撻之。方自陳說,玄怒,使人曳箸泥中。須臾,復有一婢來,問曰:「胡為乎泥中?」答曰:「薄言往愬,逢彼之怒。」(『世説新語・文學』より)

(文・李子霽/翻訳・清水小桐)