中国の華北地域ではここ2週間、非常に激しい豪雨に見舞われ、当局によるダム放水で土砂崩れなどの重大な災害も多くの地域で発生し、市民の生命と財産の損失は甚大です。雨が止んだ後、ずっと姿を現さない河北省各市のトップたちは続々と姿を見せて始めています。しかし、中国共産党のトップ指導者である習近平が被災地現場を訪れる姿はありませんでした。さらに不思議なことに、中国共産党の機関紙「人民日報」と「新華社通信」の記事では、習近平の「語録」を引用し、習近平が「やるべきことをやっていない」とする記事を掲載しました。

地方政府の無作為
 今回の河北省の救援活動において、国民が最も不満に思ったのは、指導者の姿が見当たらないことと、政府の無策無為で、政府の機能が完全に失われているということです。土石流による災害現場では、人々を救うことが喫緊(きっきん)の課題となっており、多くの人々が泥に埋もれ、被災した家屋に閉じ込められ、救助を切望しています。1分でも遅れると、命が失われるかもしれません。しかし、災害の最中、保定市や涿州市などの河北省各地域の政府首脳は姿を消しており、普段は権力を誇示し、どこにでも存在する武警警察、警察官、城管(都市管理者)、農管(農村管理者)なども姿を現しませんでした。後に明らかになったところによれば、彼らはみな、省や市の指導者を保護するために配置されたり、政府庁舎の周囲で抗議する被災者を取り締まったりするために配置されたりしていたようです。

 初めに災害現場に到着したのは民間のボランティア救援隊で、被災地の地形や村々の位置、被災状況について知らないため、当局の案内や指導、後方支援が必要でした。しかし、政府の怠慢により、救援隊の救援活動はスムーズに進行することができなかったのです。さらに深刻なことに、現地政府は他地域から来た救援隊に対して、災害現場に入る前に政府が発行した招聘状を所持することが必要だと要求しました。しかし、政府からの招聘状の発行が遅く、多くの救助隊が無念の思いで被災地から撤退せざるを得ない状況となりました。

党機関紙の異例な報道「党内闘争の反映か」
 習近平は被災地に姿を見せず、華北・東北地域の被害地を訪問しなかった上、公式機関紙も最高指導者の所在地について報じることはありませんでした。一部の公式メディアは、河北省の市民が土石流に巻き込まれ、救援を待ちながら苦しんでいる最中、習近平は常務委員全員とその家族を率いて北戴河へ休暇に行き、日光浴、ビーチ、グルメ、高級ワインを楽しんでいたと報じました。

 華北地域と東北地域が深刻な洪水に見舞われ、特に河北省の涿州市では当時、数十万人が救援を待ち望んでいました。しかし、救援活動は統一的な調整が欠け、ほとんど無政府状態にある中、中国共産党の高官たちは被害現場に一人も姿を現していなかったのです。それどころか、中南海の高層たちは北戴河で休暇を過ごしていました。

 また、人民日報のウェブサイト人民網は8月10日のトップページで掲載された不可解な記事で注目されました。その記事は「自分自身が率先して行動し手本を示さなければ、他人を納得させることはできない」という習近平の語録を引用し、指導者が「私についてこい」と叫ぶことと、「私に代わって前進しろ」と叫ぶことはまったく異なると主張しました。また、「自分自身が率先して行動し手本を示さなければ、どうして他の人を信じさせ、喜んで従わせることができるのか」とも言及しました。

 公式メディアは記事で、習近平を取り繕うのではなく、むしろ習近平が災害地域に先導して行かなかったことを批判しています。記事の裏には深い意味が込められており、具体的には、「指導者が言葉だけでなく実際の行動を通じて模範を示すことができないのであれば」、同様に災害から身を隠した河北省・市の高官らに対して責任を問う理由がないのではないかという示唆が含まれているようです。

 この記事は、明らかに習近平の弱点を暴露する意図があり、さらに習近平の過去のスピーチの一部を引用して、「総書記の古典引用の知恵」と明示しています。また、習近平が引用したこの一節の言葉が北宋宝元年間に由来していることを詳しく説明しています。その時、西北で戦事が激しく、国家財政が困難な状況下で、ある大臣が皇帝に上奏した際にこの言葉を用い、その意味は「朝廷が模範を示すべきだ」というものでした。

 人民日報のこの記事は、はっきりと習近平の弱点を暴露し、同時に外部に対して、習近平が再選されたとしても、彼がすべての権力を掌握しているわけではなく、党内には依然として異なる派閥や勢力が存在し、習近平に対抗する能力を持っていることを示唆しています。

 中国共産党内のこれらの派閥勢力は、国民が大規模な災害に直面している際にも、見て見ぬふりをし、国民のために全力を尽くすのではなく、それぞれの派閥の利益を追求し、政治権力と国家の利益を掠め取り、国民の生死を顧みないのです。このような政党の存在は、中華民族と中国国民にとって不幸なものと言えるでしょう。

習近平「自身の安危」への懸念か
 習近平が就任して以来、一度も被災地に赴き、現場で救援活動を指導したことはありません。これはここ10年間にわたる大きな疑問だと、外部者に指摘されています。

 ニューヨーク市立大学の夏明教授(政治学)は、ラジオ・フリー・アジアとのインタビューで、習近平は統治の危機に直面しており、彼が中南海を離れることを恐れているのは自身の安危を心配しているからだと述べました。

 「中国の国民は現在、非常に大きな不満が蓄積されている。もし習近平が現時点で、国民と対面すれば、治安維持の代償が非常に高くつくだろう。間違える事なく群衆を演じる俳優などを手配する必要があり、効果が得られないばかりか、その詐欺が露呈する可能性もある」

 つまり、被災地現場は混乱しており、安全を確保することは難しい状況であり、習近平は暗殺されることを恐れ、被災地に足を踏み入れないということです。
中国国内の情報筋によると、胡錦涛が政権を握っていた頃、江泽民派による暗殺未遂が何度かあったとされています。

 一方、オランダ在住の中国反体制派の林生亮は異なる見解を示しています。「彼(習近平)はすでに権力を握っており、もはやショーをする必要はない」「国家のトップでさえ被災地現場に行かず、被災に対して無関心であるならば、下層の幹部層も被災を重視するわけがない。たとえ下層の幹部らが被災を重視したとしても、それは上層に見せるための見せかけであろう」

 しかしながら、どの視点から見ても、中国共産党の指導者である習近平の第一の関心事は一般庶民の生死ではありません。結局のところ、中国共産党は庶民を人間として扱ったことはなく、一般庶民の生死は中国共産党の関心の焦点ではありません。

 周知のように、中国の党旗も国旗も赤色であり、中国共産党は常に隠さずに「赤い旗は血で染まっている」と言っています。中国共産党は国民の命を血で染めた旗の犠牲に捧げ、旗をもっと赤く染めようとしています。

(翻訳・藍彧)