孔子(紀元前552年10月9日―紀元前479年3月9日)(看中国/Vision Times Japan)

 「話す」行為は、古来より、人と人との間で心象や意志、感情、訴求を伝達する主要な手段であり、一種の芸術と言えるものもあります。儒学の創始者である孔子は、日々弟子たちと話したり語ったりすることで、彼らを導いていました。「話す」行為は、自ずと重要な役割を果たしていたのです。それにも関わらず、ある時期、孔子は話すことを望まなくなったのです。それは一体なぜだったのでしょうか?
 
 まず、孔子の「話す」行為に対する姿勢を見てみましょう。
 
 孔子は「話す言葉」をとりわけ重要視し、周易に記されているように「人が発する言葉は、その場所が私的であっても、善悪を問わず、周囲から遠方まで人々に影響を及ぼし、ひらめきを与える。言葉と行為は同様に、栄誉あるいは恥辱を招く要素だ。一度出た言葉は、人々を揺さぶることができ、場合によっては天地さえも動かす力がある。だからこそ、私たちは最大限の慎重さをもって、言葉を発する必要がある」と考えていたと思われます①。
 また、言葉の影響力を深く理解していた孔子は「正名」、つまり「事物の実質を正確に認識する称呼・よび名を保持すること」こそが、政治活動の原点だと明確に主張していました。『論語・子路』には「もし名が正しくなければ、言論は正しく伝わらず、政治は成立せず、礼楽は振興せず、法律も民衆に伝わらず、刑罰は正当にならず、民衆の混乱を招きかねない。だからこそ、君子が正す「名」は、必ず妥当な名でなければならず、必ず行動に移せるものになるべきです。君子は自分の言葉に細心の注意を払うべきです②」と彼の言葉が記されています。
 この様な慎重さから、孔子は「言葉を慎むこと」も主張しました。孔子自身も、利益、運命、仁徳に関する話をあまり口に出すことはありませんでした③。これらの話題はとても深く、人々の道德的行動に深遠な影響を及ぼすからだと、孔子は考えていたようです。
 
 次に『論語』に記録された、孔子と弟子たちの「語り」に関する討論を見てみましょう。
 弟子たちの中で優れた「語り」の才能の持ち主は誰かと問われると、孔子はすぐに「宰我(さいが)」と「子貢(しこう)」の二人の名前を挙げました④。
 宰我は美しい言葉を並べて、修養について語ることが多々ありましたが、その行動は言葉と真逆でした。孔子はこれについて「私は以前、その人の言葉でその人を判断していました。しかし今では、人の言葉を聞いて、その行動を見てから判断するようになりました。このような変化があったのは、宰我のお陰です⑤」と感嘆し、言葉の信憑性に疑問を持つようになったことを明かしました。
 
 この様な変化もあってか、ある日突然、孔子は弟子たちに対し「もう話したくはありません」と告げました。
 これを聞いて、弁舌(べんぜつ)に優れ、語りをたいそう得意とする子貢は、黙っていられなくなり「先生がお話しにならなければ、私たち弟子は何をもとに学んでいくのでしょうか?」と尋ねました。
 すると孔子は「天を見て下さい。天は、一度でも言葉を発したのでしょうか?天は何も言いませんが、春夏秋冬の四季が整然と移り変わり、世間にある万物は、たゆみなく成長していきます。これらは全て天の見えない力によるものですが、天は一度でも言葉を発しましたか?」と説明しました⑥。
 この説明から、孔子が話をしたくない理由が見えてきます。彼は、人を判別する時に最も重要なのは、「言葉」よりもその人の「行動」だと考えるようになったのです。
 
 最も尊敬される人は、必ずしも多くを語らず、しかし行動においては真面目で、困難に耐え、愚痴を言わず、積極的な人であることを、孔子は気づきました。それはまさしく、孔子が最も称賛した弟子「顔回(がんかい)」のような人でした。
 道理を教える時や遣いを頼む時など、真剣に人の話を聞き、行動に移せる人は、恐らく顔回だけだと、孔子は一度感嘆したことがあります⑦。孔子が顔回に一日中道徳の教えを語った時、顔回は、意見を述べるでもなく、ただ頷くだけで、一見すると愚鈍な人に見えたかもしれません。しかし、その後、孔子が顔回の行動を密かに観察したところ、彼は教わったことを十分に活用し、全く愚鈍ではないことが分かったのです⑧。
 
 これらの事から、孔子が話をしたくない理由は、話す必要がないからではなく、話す行為における、言葉の限界とその信頼性を理性的に認識したからだと考えられます。孔子は「行為」と「実践」こそが、人を正しく評価するための鍵だと考えるようになりました。
 
 「古人たちは軽々しく言葉を発することはありませんでした。それは自分が言ったことを果たせず、恥をかくのを恐れたからです」と孔子は言いました⑨。彼の「言葉」と「実践」に対する洞察は、現在でも通用する学ぶべき知恵ではないでしょうか?

中国語原文
①君子居其室,出其言,善則千里之外應之,況其邇者乎,居其室,出其言不善,則千里之外違之,況其邇者乎,言出乎身,加乎民,行發乎邇,見乎遠。言行君子之樞機,樞機之發,榮辱之主也。言行,君子之所以動天地也,可不慎乎。(『周易・繫辭上』より)
②名不正,則言不順;言不順,則事不成;事不成,則禮樂不興;禮樂不興,則刑罰不中;刑罰不中,則民無所措手足。故君子名之必可言也,言之必可行也。君子於其言,無所苟而已矣。(『論語・子路』より)
③子罕言利,與命,與仁。(『論語・子罕』より)
④言語:宰我,子貢。(『論語・先進』より)
⑤始吾於人也,聽其言而信其行;今吾於人也,聽其言而觀其行。於予與改是。(『論語・公冶長』より)
⑥子曰:「予欲無言。」子貢曰:「子如不言,則小子何述焉?」子曰:「天何言哉?四時行焉,百物生焉,天何言哉?」(『論語・陽貨』より)
⑦語之而不惰者,其回也與!(『論語d子罕』より)
⑧吾與回言終日,不違如愚。退而省其私,亦足以發。回也,不愚。(『論語・為政』より)
⑨古者言之不出,恥躬之不逮也。(『論語‧里仁』より)

(文・李子霽/翻訳・鶴崎ミネ)